平和の炎再び 64年走者ら心待ち 20年東京五輪


この記事を書いた人 Avatar photo 桑原 晶子
1964年東京五輪の聖火リレーで使用したトーチとユニホームを手に「2020年が待ち遠しい」と話す宮城勇さん=12日、浦添市屋富祖

 1964年9月、沖縄の沿道を彩った“平和の炎”が56年ぶりに帰ってくる―。全国47都道府県を巡る2020年東京五輪聖火リレーのルートで、沖縄県は18番目の地として同年5月2日に鹿児島県からトーチを受け取り、3日熊本県へとつなぐ。

 「あの感動が再び沖縄中を包み込む」。64年の聖火リレーの第一走者だった宮城勇さん(76)=浦添市=は、当時実際に使ったトーチを持ち上げ、目を細めた。

 当時の沖縄は米統治下にあり、日本復帰を待ち望んでいた県民は聖火リレーに勇気づけられた。9月7日、那覇空港からトーチを掲げて走った宮城さんは「聖火はまさに、平和を希求する沖縄の命の叫びとなった」と振り返る。20年大会は東日本大震災の被災地福島からの出発となる。宮城さんは聖火が秘めるパワーは絶大だと語り「今、最もそのパワーを必要とするのは被災地だろう。東北の方々に笑顔と勇気が広がれば、東京五輪は素晴らしい大会になる」と期待を込めた。

 64年大会で聖火隊が宿泊した久志村(現名護市)嘉陽の出身で、名護市久志支部体育協会会長の比嘉達也さん(63)は「あの聖火台にもう一度、聖火をともしたい」との思いを強くしている。

 嘉陽には、54年前の聖火台が当時の場所にそのまま残されている。まだ舗装されていない山あいの道を聖火が駆け抜けていった時の感動を、今も忘れられない。比嘉さんは「聖火を絶やさないことが、何十年も生き続けてきたあの聖火台の役目だ」と語り、聖火がもう一度嘉陽に来ることを心待ちにしている。