【島人の目】サルデーニャ島の立ち位置


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 先月、イタリアのサルデーニャ島を訪ねた。最近、日本本土と沖縄の在り方に似た地理的な位置関係や歴史、政治、文化状況などを有する欧州の島を選んでは訪問している。ギリシャのロードス島を皮切りに2年前はスペインのカナリア諸島、昨年はギリシャのクレタ島を訪ねた。次はフランスのコルシカ島を旅する計画がある。

 サルデーニャ島は紀元前8世紀ごろにアラブ系勢力の支配を受けた。紀元前3世紀からはローマ帝国の支配下に入ったが、帝国の滅亡後はイスラム教徒となったアラブ人の侵略を再び受け、長く統治された。

 サルデーニャ島は「欧州文明のゆりかご」とも規定される地中海にありながら、異教徒に翻弄(ほんろう)され続けたことも影響して、いわば「地中海域の普遍的な発展」から取り残された島になった。

 そこにはイタリア本土に見られる絢爛(けんらん)な歴史的建築物や芸術作品はあまり存在しない。だが、豊穣(ほうじょう)雄大な自然と素朴な人情や民芸などの「癒やしの文化」が豊かに息づく。またサルデーニャ島は前述の地中海の他の島々と同様に本土から遠くに位置し、現在はリゾート地として発展している。そのあたりが沖縄にも似ている。

 島の住人は、多数派の本土人とせめぎ合いながら生きる宿命にある。少数派の島人は少数派ゆえの不満を抱きやすいが同時に本土の発展の余得にあずかって豊かにもなる。両者は「持ちつ持たれつ」の関係だ。

 その意味では米軍基地の過重な負担を押し付けられて島人が差別抑圧されている沖縄の状況は、「持ちつ持たれつ」とはとても言えないいびつな状況だ。米軍基地の暗雲さえ取り除けば、沖縄は欧州の国々の同じ立ち位置にあるどの島よりも、明るく美しい癒やしの島であり続けられるはずなのに、残念なことだ、とつくづく思う。
 (仲宗根雅則 イタリア在、TVディレクター)