自由形の800メートルと1500メートルの県記録を持つ沖縄県内水泳界長距離の第一人者、又吉盛一(浦添商業高)が15日から始まる「福井しあわせ元気国体」で最初で最後の全国舞台に挑む。脳に抱える病気がある中、それを意識しすぎずに、競技を始めるきっかけとなった母親と二人三脚で歩んできた。さらなる飛躍を期待する声もあるが、大学進学とその病気を理由に今大会を最後に第一線から離れる決意をした。「これまでの感謝と沖縄からでも全国で戦えることを後輩に伝えたい」と笑顔でレースに挑む。
又吉は水泳の指導者でもある母・まりさんの影響で2歳から競泳を始めた。小学4年の時に通っていた水泳教室がなくなり、ハンドボールや水球に取り組んだ。しかし「競泳で戦いたい」という思いは消えず、中学2年の時に復帰した。
水球をしていたため、間を置いたものの、泳ぐことは問題なかった。しかし、ヘッドアップをしたりスピードを一気に上げたりする水球と一定のテンポで一度にしっかり水をかく長距離の泳法の違いを見直すことに苦労した。練習を繰り返し、泳ぎこむことで、以前の体の感覚を徐々に思い出していった。
復帰1年後の県大会で優勝すると九州大会では8位に入った。「九州で初めて決勝に残れたことが自信になった」。より一層競技に打ち込むようになり、いつしか全国大会で勝負することを描いていった。
■予期せぬ事態
しかし中学3年生の終わり、予想しなかった事態が襲った。もともと頭痛持ちで、詳しい検査の結果、頭痛やけいれん、発作などを引き起こす「くも膜のう胞」と診断された。競技を諦めることも考えたが「全国大会に出場したい」との思いが原動力となり、医師と経過観察しながら、競技を続ける判断をした。
高校進学後は、がむしゃらに泳ぐことを見直した。細かい技術を学び、自分のイメージを動きに再現できるようになっていった。2年の県総体1500メートルで県記録を樹立すると、その後は800メートルも塗り替えた。支え続けたのが母のまりさんだ。息子の体をケアするために整体師の資格を取得。食事、メンタル面と全てをサポートし、二人三脚で県内の実力者に成長した。
■心を決め、いざ
競泳では県内と全国とではまだ差があり、全国総体などへの出場はできなかった。高校卒業後は県外の大学へ進学を予定し、病気のこともあり、競技を離れる。病気については今後も経過をみていく予定。
「気づいたら水の中にいた。競泳をしないというのは考えられない」と少し寂しさはある。しかし、もう気持ちは固まった。最初で最後の大舞台。「お母さんや今までサポートしてくれた人へ感謝し、沖縄から全国で戦えることを示せるような記録を狙いたい」。最終レースとなる国体へ、又吉がスタート位置につく。
(屋嘉部長将)