當間實光の第一歌集『大嶺崎』にこんな歌がある。
沖縄を供物となして見捨ている大和(やまと)を吾は祖国と呼ばず
滔滔(とうとう)と卯波の吠ゆる喜屋武(きゃん)岬我より若き戦死の父は
作者の思いや沖縄の現状が伝わってきて、歌集の一首一首の前で長く立ち止まった。同じ作者が第二歌集でどのような歌を詠むのか。
死者なれば老ゆること無き写し絵の真すぐなる目に射抜かれており
ウトの息子ツルの娘と刻まれて名の無きままに奪われし子ら
空仰ぐ健児の塔の青年の六十年経てど老いること無く
こんなにも小さい島に基地あふれおろろおろろと生き来し吾ら
一首目、三首目ともに「老ゆること無き」「老いること無く」と詠(うた)われている。作者自身が歳(とし)を重ね、老いることのない存在を不思議な思いで見つめ、またそれと向き合うことで自身の若き日々やその頃の沖縄と向き合おうとしている。四首目の「おろろおろろ」からは驚きや怯(おび)え、そして深い悲しみが伝わってくる。
沖縄の表現者はこの地から平和を考える、発信するという大きな役目を担っているように思う。それぞれがそれを好むと好まざるに関わらず、自身や家族の来し方、またその地や歴史を思う時、それらは自(おの)ずとにじみ出る。
この歌集には家族も多く登場する。
手を取りてバージンロード進みゆく十字架の下 青年がひとり
花嫁を送り出す父とそれをしっかりと受け止めようとする青年の、男同士の緊張感がじわりと伝わる。
他にも、この歌集にはたくさんの人物が登場する。香月泰男、太宰治、吉永小百合、安室奈美恵、ジャンヌ・モローなど、そうそうたる顔触れである。
ペーチカに焙る両手の隙間よりふるさと覗く香月泰男は
これらの歌は作者自身が楽しみながら詠んでいる様子が伝わってくる。
歌は暮らしの文芸である。暮らしの中からひょいと作者が捕らえた風土や歴史、人物等の断片を、頁(ぺーじ)をめくりながら、作者と共に苦しみ、闘い、祈り、そしてまた楽しんでほしいと思う。
(佐藤モニカ・歌人、小説家)
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とうま・じっこう 1943年那覇市字大嶺生まれ。早稲田大学文学部卒。32年間高校教諭を務める。71年同人誌「石敢當」を新城貞夫氏らと創刊。2012年歌集「大嶺崎」(ながらみ書房)を出版。