【アメリカ】夫婦仲良く競技 和子・ヘイザーさん(東村) ピックルボール優勝


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夫のジョンさん(左)と共にピックルボールに熱中する東村出身の和子・ヘイザーさん

 卓球、テニスなどを基に考案された米国発祥の球技「ピックルボール」は、北米で普及し今や生涯スポーツとして老若男女問わず人気になっている。各地域のコミュニティーセンターには専用のコートがあり、全米大会も開催されている。東村出身の和子・ヘイザーさん(81)=旧姓・佐久本=は、夫のジョンさん(75)と出場した今年5月のバージニア州シニアゲーム男女混合戦で優勝した。

 週5日、練習しているというジョンさんは「とりこになるほど楽しいスポーツ」と話す。心身ともに健康な2人だが、和子さんは筋肉が隆々としていて若々しい。ピックルボールの前はテニスに熱中した。テニス歴はジョンさんが20年、和子さんは30年で、獲得した優勝トロフィーは10個以上だ。和子さんは健康の秘訣(ひけつ)を「運動が第一で食事にも気を使っている。好きな肉とともに野菜を多く取っている。アルコールやたばこには縁がない。日々、体を鍛えながら好きな事をし、楽しく過ごすことが夫婦2人のモットー」と話す。

 2人の出会いは1961年。恩納村のビーチで開かれたピクニックだった。和子さんは当時、琉球タバコに勤め、ジョンさんは空軍嘉手納基地に配属されていた。結婚を決心した和子さんだが、家族に大反対され勘当されてしまう。しかし63年、米領事館で2人だけで式を挙げた。和子さんは「当時の生活は食べていくだけで精いっぱいだったが、貧しいながらも幸せな日々だった」と振り返る。結婚6年目に沖縄勤務となり、長女を出産した。それが家族との和解のきっかけとなったという。特に母親が孫娘の誕生を喜んだ。

 和子さんは、ジョンさんの仕事の関係でコロラド州やワシントン州、韓国、アラバマ州などで生活した。最後は夫が戦隊司令官に就いたため、バージニア州に移り住んだ。夫は91年に約30年勤めた空軍を退役した。転勤で何度も全米各地や海外への引っ越しを余儀なくされたが、和子さんは2人の娘を育てながら新しい土地での生活を楽しんだ。今は孫3人にも恵まれ、沖縄には毎年里帰りし、102歳まで生きた母親を気遣った。「いいパートナーに恵まれ、全てがいい選択だった」。最後にこう語った。
(鈴木多美子通信員)