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沖縄に「国宝」が2件しかないのはなぜか? かつては京都・奈良・沖縄だったのに

玉陵の国宝指定を喜ぶ川野隆久さん(左)と喜屋武光信さん=19日、那覇市首里金城町

 国の文化審議会は19日、琉球王国の国王の陵墓「玉陵(たまうどぅん)」(那覇市首里金城町)を国宝に指定することを柴山昌彦文部科学相に答申した。沖縄県内では2006年に指定された那覇市所有の「琉球国王尚家関係資料」(歴史資料)以来で、建造物の国宝指定は初めて。近く、官報の告示により正式に指定される。

 県内の国宝として2件目、建造物としては初めて指定された玉陵(たまうどぅん)。戦前の沖縄には建造物だけで22件の国宝があり、京都府や奈良県に次ぐ規模だった。それらは沖縄戦で失われ、沖縄から国宝が「消えた」。戦後73年がたち、ようやく復活した建造物の国宝に、関係者からは「琉球王国の文化が国の宝として認知された」と喜びの声が上がった。

 戦前、国宝に指定されていたのは首里城の守礼門、歓会門や円覚寺の総門、仏殿、崇元寺の総門、園比屋武御嶽(石門)、弁ヶ岳(石門)、末吉宮の本殿、沖宮の本殿など22件。首里城正殿は1925年に指定されたが、当時の法律では対象が寺社仏閣に限られたため、王宮ではあるが「沖縄神社拝殿」と位置付けられた。

 22件の多くは沖縄戦で滅失した。円覚寺の放生橋、崇元寺の総門など、破壊が一部で済んだものも国の重要文化財に「格下げ」され、国宝としては維持されなかった。守礼門は1958年に県民の寄付金で復元されたが、復元品は国宝指定が難しく、県の重要文化財止まりになっている。

 玉陵は戦前は国宝に指定されていなかったが、被災規模が小さく、復帰後には国の補助事業で整備もされてきた。県立博物館・美術館の園原謙博物館班長は「琉球王国の文化がしっかり刻まれた建造物が国宝に認められた意義は大きい」と喜んだ。

 19日、たまたま玉陵を訪れた尚真王の三男・尚韶威が母方の祖先にあたる川野隆久さん(77)=東京=は「祖先もこの中に眠っているので、沖縄に来るたび足を運んでいた。(国宝指定は)末裔(まつえい)としても大変名誉なことで、とてもうれしい」と喜んだ。

 那覇市観光協会の佐久本武会長は、国宝指定の答申を受け「市民、県民にとっても誇りに感じると思う。沖縄は小さな島だが、豊かな歴史・文化がある。きれいな海だけでない、沖縄のさらなる魅力を観光の面でも伝えることができたらいい」と語った。