結構、青い鳥がいるもんだ。
地面に這(は)いつくばうようにへっちらほっちら歩いていると、幸せをつかんで生活している方に多々出会う。一緒に飛んでいるような気がしてうれしくなる。
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9月初旬の関東は猛暑が続いた。国道1号線、新しくなった「東海道」に面した年季が入った低い屋根の家が目に付いた。開け広げたガラス戸から中がのぞける。中からは黒縁の眼鏡をかけ背を丸め、子猫を抱えるように優しく靴を手にしている男性の姿が見えた。
「入ってもいいですか」。返事をもらう前に雰囲気にのまれて体を入れていた。修理の手を休め、ぴょこんと頭を上げてくれた。三角形の小さな店には、未修理の靴がきちんと並んでいる。
北見章さん(83)は60年以上、この店で靴の修理を続けている。猛暑だが、店内にはエアコンがない。「これでは夏は暑く冬は寒いでしょう」と言うと、北見さんは「暑くない、寒くないとは言えばうそですが、ここに座って靴を手にしたら何も感じない」と言う。
夢中なれる「聖人」だと思えた。
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香川県の弘法大師生誕の地「善光寺」。
寺の脇にある古い建物に字が消えかかった看板を見つけた。「本家かたパン」。普通なら「ふわふわな」とか、「焼きたて」とかあるはずだが、「堅い」とは?販売されているパンは、一番柔らかいもので堅い木のような堅さで、堅いものは丈夫な歯の持ち主でもしゃぶることしかできない代物という。
「堅パン」を製造・販売するのは明治29年(1896年)創業の熊岡菓子店。3代目の夫人、熊岡民子(85)さんがにこやかに出迎えてくれた。「堅パン」は初代の熊岡和市さんが大阪の菓子店「松前堂」で大番頭をしていたとき、腹持ちがいい携帯食を求める軍の依頼で考案したようだ。時は日清戦争だった。
その後、和市さんは郷里に戻って菓子店を開業、122年を迎えても手法も素材も変わっていない。今は4代目と5代目が製造を続けている。民子さんが堅パンを紙袋に入れて、袋の端を両手にくるくるっと手際よくねじって、はかりに乗せる。幸せな歴史がふくらむ。
10月21日 大分県竹田
(比嘉良治、ニューヨーク通信員)
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米ニューヨークに在住する芸術家で名護市出身の比嘉良治さんが80歳を迎え、東京都の日本橋から沖縄までの歩き旅をスタートさせました。列島歩きを通して出会う人や風景、出来事をつづります。