沖縄は戦後、73年間も米軍基地問題と闘い続けている。今、名護市辺野古の新基地建設を巡り、後戻りできない事態へと追い込まれている。日本と米国の安全保障体制の過重な負担をなぜ沖縄だけが背負い続けているのか。沖縄だけに解決策を問うのではなく、日本と米国の市民の皆さんが「自分の事」として捉え、一緒に解決策を考え、太平洋を超えて、つながって行動する輪を広げていただきたい。

 私の父は米国人で元海兵隊員、母は日本人だ。しかし父の顔も、出身地も知らない。私がまだ母のお腹にいたときに父が先に帰還することになり、母は私を産んでから米国へ渡る約束でした。後に母は渡米を断念し、沖縄で私を育てた。手紙も写真も、母は悔いを残すからと全て焼いてしまった。このような形で日米双方の関係を持つ子どもたちは少なくない。しかし私は、幼い頃は外見が違うというだけでいじめに遭ったりもしたが、私を実の母以上にかわいがってくれた養母からは、差別や偏見が心の傷にならないよう優しく教えられた。

 自分の生い立ちを肯定し、海兵隊の基地周辺にある飲み屋で働いている女性たちの、食事や洗濯などの世話をするまかないが生活のための仕事だった母の姿を知っている。私にとって米軍基地とは、政治的な問題というよりも、日常生活の延長に見ていたもので基地を抱えながら生活をしてきたウチナーンチュの現実でもあった。

 沖縄は今、辺野古で新基地建設を強行しようとする日米両政府とぶつかっている。この対立は反米とか、反基地というイデオロギー的な主張ではなく「これ以上、基地はいらない」という生活者のリアルな声だ。

 沖縄の国土面積は日本全体のわずか0・6%。その小さな沖縄に日本全国の70・3%もの米軍専用基地が集中している。にもかかわらず日本政府は新たな米軍基地の建設を辺野古で強行している。これには県民の60~70%が反対している。翁長雄志前知事も、私も、新基地建設反対という民意で、相手候補に大きな票差をつけて県知事選挙で圧勝した。沖縄が現在直面している政治問題として、私は全ての米軍基地の即時閉鎖ではなく、辺野古の新基地建設という県民に対するさらなる負担の増加に反対している。

 基地を造る日本、基地を使う米国。どちらも責任の当事者だが、基地を押し付けられている沖縄の声はどこへ届ければいいのか。民主主義のあるべき姿を私たち沖縄県民は、どこでつかむことができるのか。民主主義の尊厳を米国と共に分かち合いたいという県民の願いは、どのようにつながることが可能なのか。

 県は政治的かつ法的なあらゆる手段を尽くして、辺野古の新基地建設を阻止しようとしている。しかし政府の扉と法律の門は閉じつつあるという厳しい現実に直面している。沖縄に対する扱いを「まるで植民地のようだ」と反発する県民も少なくない。沖縄の立場から見た場合、日本は法治国家であるという政府のコメントに対して「自作自演」と言わざるを得ない。そうでないとするならば、民主主義の誠意を持って沖縄と真摯(しんし)に対話をするべきだ。

 第2次世界戦後、米国は沖縄を「太平洋の要石」「キーストーン」と呼んだ。しかし沖縄を常に民主主義からも、法律からも例外的な存在に置き続けていくならば、その鍵の石は、沖縄から激しい反発が飛び散ってゆく「パンドラの箱」の鍵に変わってしまうかもしれない。日米両国と県民との間に、修復不可能な亀裂が生じてしまうだろう。

 沖縄のダイバーシティーとは、私のような存在であり、米兵と結婚して渡った在米の女性たちであり、親から沖縄の魂を受け継いだ子どもたちであり、沖縄に触れてきた数多くの軍人・軍属だ。私はこのダイバーシティーを誇るべき民主主義の力にぜひ変えてほしい。米軍が沖縄に来て73年になる。米軍はせめてキーストーンである沖縄の声ぐらい聞くという敬意を払ってほしい。米国は沖縄を「日本国内の問題」に閉じ込めているが、沖縄の中でも米国の民主主義が問われている。米国政府をはじめ、沖縄に駐留した米国人、その家族にも、沖縄の問題を自分の問題として考えてほしい。