菅氏、普天間巡り誤答弁 日米合意「事故」きっかけ→○少女乱暴事件 稲嶺知事も辺野古合意→○条件外され反発


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菅義偉氏

 【東京】菅義偉官房長官は15日の参院内閣委員会で、米軍普天間飛行場返還の日米合意に至る経緯を巡り「今から22年前に事故があり、橋本龍太郎元首相とモンデール駐日大使との間で県内移設が合意された。政府としては危険除去をなんとしてもやり遂げたい」と発言した。質問した木戸口英司議員(希望の会)が「きっかけは少女暴行の『事件』だ。逆に普天間の危険のすり替えに聞こえる」と指摘した。木戸口氏は、1995年の少女乱暴事件を受けて日米両政府が普天間飛行場の返還へ協議を始めた経緯を挙げ、菅氏の発言をただした。

 普天間返還合意は危険性除去がきっかけだったと印象付けかねない菅氏の発言で、沖縄基地負担軽減担当相としての基本認識も問われそうだ。

 木戸口氏の指摘を受けた再答弁でも菅氏は「事件もあったが、その以前に事故があったことも事実ではないか。その点で移設の要望があったことも事実だ」と、あくまで事故があることで普天間返還の要望が地元から上がっていたと反論した。さらに菅氏は、日米の普天間返還合意を受けて「3年後に地元の市長と県知事が合意し、辺野古について国が閣議決定した」と地元合意を強調した。

 当時の稲嶺恵一知事は、合意に当たって軍民共用と15年使用期限を条件にしていたが、その後政府はこれらの条件を外した閣議決定を改めて決めており、そのことに稲嶺元知事は反発していた。現在も地元合意が存在したまま計画が進んでいるかのような印象を与える発言となっている。

 さらに現在の辺野古新基地建設計画について菅氏は「V字型は着陸と発進が別になるので、極めて危険の少ない(計画で)、これは地元の要望でV字型にした経緯もある」と、ここでも地元の意向を強調してみせた。
 (滝本匠)