『随想集 遊歩場にて』 饒舌に語る冷徹な目線


社会
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『随想集 遊歩場にて』新城貞夫著 書肆侃侃房・2160円

 歌人は詠(うた)うべき対象を表現する時、言葉を選び、言葉を削り三十一音の定型に仕上げる。エッセイを書く時の新城は実におしゃべり好きなご老体となる。

 I部の「日々のたわむれに」の書き出し。「六月、樺美智子が死んだ。国家が殺したのである」との衝撃的な話で始まる。

 国際通りに群れる人々。彼の眼はありとあらゆる、全ての景色を冷徹に突き放して見る。この日常的な景色の中に彼の心を揺さ振るものが果たして在るのか。I部の最後のページを歌人新城は七首の歌で締めくくる。一首を引く「去ってゆくバラク・オバマの背が見えて愛犬一匹寄り添いたり」

 II部の「旅の途上で」は主にドイツ・イタリアの旅の記録である。「ベルリンの局外者」の中で、新城は「ホテルだけは確保している。地球がひっくり返ってもなるように成ることはない。むしろならないように成る」と言う。ヨーロッパの都市を巡りながら、彼は「初級ドイツ語」の力で旅を楽しみ、人を喰(く)ったような処世術でヨーロッパの街の風を浴びている。サン・ピエトロ大聖堂で呟(つぶや)く。「旅をすることはこの身にまとわりつく一切を、隠す、捨てる、消すいわば匿名の世界に身を置くことである」と述べる。自分を自分以外のものに仕立てることが旅である、と言うのだ。

 III「定型詩をめぐって」は実に興味深い。名桜大学での「戦後沖縄短歌を読む」会には私も参加した。岸上大作、清原日出夫、新城自身の1960年代の歌を引きながら、沖縄の歌人について語る。伊礼春夫、北見四郎、玉城裕純など懐かしい名前が登場する。県外歌人18人・44首、県内歌人44人、273首がある。沖縄にも「前衛短歌」の胎動があったのだ、と「野試合」「鳥」について語る。「アジアの片隅」(2015年刊)でもそうであったが、彼が短歌について語る時、それは戦後沖縄の短歌界の歴史の一端の記録になる。新城の饒舌(じょうぜつ)な文体とつかみどころのない立ち位置は相変わらずであるが、「目白めに食われて柿の末路かな」の俳句に接する時、彼の反逆精神の棘(とげ)が少し柔らかくなったように感じるのは何故か。

 (當間實光・未来短歌会所属)

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 しんじょう・さだお 1938年サイパン生まれ。歌人。宜野湾市在住。62年第8回角川短歌賞次席、98年「新城貞夫歌集」、2011年「新城貞夫歌集2」、13年「ささ、一献 火酒を」、15年「アジアの片隅で 新城貞夫歌文集」、17年「Cafe de Colmarで」。

 

随想集 遊歩場にて
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