地域

75年前の恩は忘れない 豊見城と宮崎・美郷町 学童疎開が縁で姉妹都市 23日30周年式典

 【豊見城】戦時中の学童疎開が縁となり、1988年に姉妹村を締結した宮崎県北部の美郷(みさと)町(旧北郷(きたごう)村)と豊見城市(旧豊見城村)。23日に開かれる姉妹都市盟約30周年を祝う式典に出席するため、美郷町から疎開学童の同級生ら5人を含む訪問団が同日、豊見城市を訪れる。当時の疎開学童と家族でつくる豊見城市宇納間(うなま)会は12人が訪問団を出迎える。「北郷の皆さんが僕らの命の恩人」。宇納間会会長の當銘保信さん(83)は80代になった今も変わらない感謝の思いで旧友との再会を心待ちにしている。


北郷村での疎開生活を振り返る豊見城市宇納間会会長・當銘保信さん=21日、豊見城市平良

 姉妹都市15周年と20周年式典はそれぞれ豊見城市、美郷町で開かれた。北郷から個人で何度も豊見城市を訪れた人もいるが、団体で訪れるのは約15年ぶり。

 体調を崩し、今回出席がかなわない宇納間会の会員もいる。「最後の出会いになるかもしれない」。當銘さんは体験者の高齢化を心配する一方「友達に会えるのは楽しみ」とほほ笑む。

 1944年8月から46年10月まで豊見城第二国民学校(現・座安小学校)の児童51人を含む約60人が北郷村宇納間に疎開した。児童らは北郷国民学校(現・美郷北学園)に寝泊まりし、現地の子どもたちと机を並べた。

 當銘さんは当時9歳。一緒に疎開していた兄や叔父と農家に手伝いに行き「小さくて働けなかったのに、夕飯を食べさせてくれたり一晩眠らせてもらったりした」ことを覚えている。豊見城村史にも、食糧難の中で雑穀が入っていない収穫したばかりの「銀飯(ぎんめし)」を食べさせてくれたなどの証言が複数残っている。

 2年2カ月の疎開生活を終え全員が沖縄に戻ると、交流はしばらく途絶えた。しかし79年、商工会青年部の九州地区ソフトボール大会で宮崎県代表として沖縄を訪れた北郷村商工会を、宇納間会が出迎えた。これを機に交流が再開し、當銘さんの同級生・長田圭二郎さんが北郷村長だった88年に姉妹村を締結した。

 その後、北郷村では村青年団のエイサー団体が誕生し、豊見城の若者とエイサーによる交流も生まれた。北郷村は2006年に3村合併で美郷町となり、今も毎年青年団や子ども会が交流を続けている。

 當銘さんは沖縄戦で6人の家族を亡くした。「疎開していなければ、私の命もなかったかもしれないし、美郷町と豊見城市がつながることもなかったよ。だからこそ、この縁は大切にしないといけない」と語った。

 式典は23日午後5時半から、豊見城市立中央公民館で開かれる。(半嶺わかな)