彼がどんな人生を歩んできたのか、わたしは知らない。
けれど、いくつかの句を読めば、4歳で終戦を迎えた宮城さんの原風景に戦争が大きく横たわっていることがわかる。
濃き闇の洞窟懐かし三尺寝
母眠る死と地続きの蝉の声
暗くじっとりとした洞窟に体を屈(かが)ませて身を潜める。母親に頭を抱かれながら一瞬、眠りに落ちたのは4歳の男の子なのか、それとも、老人になった宮城さんだったのか。百歳まで生きた母親の、眠ったような死に顔が凄惨な夏と繋(つな)がる。
沖縄がいかに異常な光景を散らした場所だったか。4歳の男の子が見た光景はやがて、彼の死生観となっていく。死は彼の奥底に深く食い込んで、彼から離れない。常に死を抱えながら、彼が死に取り込まれなかったのは妻の存在があったからだろう。
この墓に入りたくない妻の咳
強そうで弱そうで強い妻昼寝
この墓に俺もお前もいずれは入るんだなぁと言った宮城さんの言葉を、咳(せき)払いで打ち消す妻。「嫌なのか?」とも「嫌です」とも言わないふたりの間に流れる空気や、昼寝をする妻を強そうだ、いや、弱そうだと観察する宮城さんの姿が目に浮かんで可笑(おか)しい。精彩を放つ妻の存在が彼を生にとどめてきた。
宮城さんの眼(め)を通して見る世界は虚しく、寂しく、愛おしく、面白い。世の中にはびこる安っぽい権威を一瞥(いちべつ)して、あるがままを表現する人。混沌(こんとん)とした世界、濁った社会で自分の価値観だけを信じて生きてきた人にしかできない。清々(すがすが)しい達観者。
はじめて読んだ句集が『真昼の座礁』でよかった。俳句がこんなにも生と死、人間と自然、宇宙を表出するものだとは。果てしなき世界を見た気分だ。
最後にわたしが一番好きな句を紹介したい。
この星に渚がありて五月来る
運ばれていく死と交差するように、生を乗せた船が波打ち際に打ち上げられているよう。
再び巡ってきた生命の季節。世界中で木漏れ日のように命がキラキラと躍る。死者たちもこの瑞(みず)々(みず)しい季節を遠くから祝福している。
宮城さんの生命も煌(きら)めいている。この句を読むたび、そう思わずにいられない。
(宮里綾羽・「宮里小書店」副店長)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
みやぎ・まさかつ 1941年国頭村生まれ。新聞社勤務、アンダーコート工場経営、出版社勤務を経て1990年出版社ボーダーインクを設立。2016年に代表を退く。08年「WAの会」に参加。