24日に死去した日本文学研究者のドナルド・キーンさんは、沖縄戦の際には米軍の通訳兵として1945年4月1日、読谷村から上陸し、捕虜の尋問や日本兵へ投降を呼び掛ける役割を担った。その際、部下にはハワイの県系2世、故比嘉武二郎さんもいた。戦後は、沖縄を訪れて講演も行った。95年には琉球新報社主催の文化講演会で、2012年12月には琉球新報社社長主宰の講演会「琉球フォーラム」でそれぞれ講師を務め、戦争の悲惨さや平和の尊さを訴えた。
12年12月の講演でキーンさんは沖縄戦について「無意味に大勢の人が死んだ。生涯忘れられない」と語り、沖縄の友人との思い出を振り返り「私の人生にとって沖縄は大切だった」とした。訪れた糸満市摩文仁の平和の礎では「いつの時代も戦争を始める理由はたくさんあるが、戦争は大変な誤りだ。二度とあってはならない」と平和の大切さを強調していた。
沖縄戦の際に自身が上陸した読谷村の浜辺も訪れた。沖縄の過重な米軍基地負担について、「沖縄の人は十分苦労した。他県の人が苦労しないのは不公平だ。戦争はもう終わったはずだ。米軍にも言い分はあるだろうが、なぜ沖縄に米軍が必要なのか分からない」と疑問視した。
キーンさんの死去を受け、作家の大城立裕さん(93)は「日本文学で素晴らしい功績を残された。面と向かって話したことはないが、外から見て誠実な方で、日本人以上に日本文化を心得た方だった」と語った。