国の文化審議会は18日、沖縄県那覇市が所有する「琉球国王尚家関係資料文書41点と文書箱」を国宝に指定するよう柴山昌彦文部科学相に答申した。夏ごろにも正式に指定される見通し。城間幹子市長が20日の会見で発表した。
国宝に指定される文書には、明治維新後の新政府に琉球から派遣された使節一行の業務日誌もある。使節団の派遣は、後の「琉球処分」(琉球併合)につながった。
尚家関係資料では、2006年に県内で戦後初の国宝として美術工芸品85点、文書1166点が指定されている。今回の追加指定で国宝指定の尚家文書は1207点になる。
38点の文書と文書箱は、18年8月に第23代当主の尚衞(まもる)さんが那覇市に寄贈した。3点の文書は八重山博物館が18年12月に那覇市に移譲したもの。市文化財課は「既に指定された文書と同様、琉球王府がどう運営されてきたかを知る貴重な文書だ」と話した。
琉球処分 解明へ 那覇市が作業
国の文化審議会が国宝に指定するよう答申した尚家文書には、明治維新後の新政府に琉球王府が派遣した使節団の業務日誌「東京日記」や、国王が正月の儀式などで着用した衣装を列記した記録などがあった。琉球王府の業務や運営の詳細が明らかになる文書として専門家も期待する。今後、那覇市が修復し、解読に入る。
「東京日記」を書いたとみられる使節団は、天皇の命令で明治政府の誕生を祝うために東京に派遣されたが、実際は天皇が尚泰王を「琉球藩王」と承認する「疑似冊封」を受けた。それが「琉球処分」の端緒と言われている。日誌の表紙には派遣された伊江王子と宜野湾親方の名前もあった。
「東京日記」の表紙の写真を見た西里喜行琉球大名誉教授(中琉日関係史)は、既に国宝に指定されている同様の記録とは別の書記官による記録の可能性があると指摘。「使節団の動向や琉球王府の対応について詳細を知る重要な史料になるだろう。早く内容を見てみたい」と話した。
国宝に指定されるうちの38点の文書と文書箱は、第22代当主尚裕氏の娘婿である松本弘氏の東京の自宅に保管されていた。
尚家文書の一部は既に那覇市歴史博物館で展示されており、今後も内容を変えながら随時展示する。
18日に重要文化財指定の答申を受けた伊江御殿家関係資料は22日から展示する。