日本代表・宮城実来 新天地から世界頂点へ 聴覚障がい者サッカーで日体大進学


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女子サッカーの強豪・日本体育大学へ進学し、世界舞台で戦うことへ意気込む宮城実来=3月11日、天妃小学校

 4月になり、沖縄県内のアスリートも進学や進級をして新たな舞台でのシーズンをスタートさせている。デフサッカー・デフフットサルの日本代表に選出経験のある宮城実来(上山中―那覇西高出)は4月から女子サッカーの強豪・日本体育大学へ進学する。ことし11月にはスイスで行われるデフフットサルワールドカップ2019(第4回世界デフフットサル選手権大会)を控えている。「日本はメダルを狙える位置にいる。優勝を目指したい」と新天地から世界の頂点へ挑む。
 (屋嘉部長将)

 先天性の聴覚障害のある宮城は3歳の時に人工内耳の手術を受けた。現在は補聴器を付けており日常生活に支障はない。幼い頃から体を動かすのが好きで、天妃小3年の時に友達に誘われて、サッカーを始めた。「ゴールを決めた時が楽しかった」。健常者ばかりだったが男子と一緒にボールを触る時間はだんだん増え、家の近くの駐車場ではドリブルや壁当てを何度も繰り返し練習した。

 中学には女子サッカー部がなかったため、クラブチームへ加入。中学1年の時、聴覚障がいのある人が出場できる国際大会がないか探しているところでデフサッカーのことを知った。日本ろう者サッカー協会に自身がプレーをしている動画などを送ると、合宿に参加してほしいと返答があった。それから毎月のように行われている県外での合宿に参加するようになった。

 デフサッカーやデフフットサルでは選手の条件を一緒にするために補聴器などは外してプレーをしなければいけない。宮城の場合、補聴器を外してしまうと周囲の音は一切聞こえない。声掛けができない中、360度を常に気にして、プレーをしなければならない負担は大きい。「いつもより集中力を保たないといけないのでより疲れる」と普段のサッカーとの違いを語る。

 それでも相手のプレーを先読みするなど高い能力は日本代表でも生かされた。2015年には当時最年少の14歳でデフフットサルのW杯に選出された。翌年にはアジア太平洋ろう者サッカー選手権大会に日本代表として出場し、チームの初代女王の座を獲得に貢献した。

 ことしは既に2月の第1回アジア太平洋ろう者フットサル選手権大会(W杯アジア予選)でも活躍し、世界大会出場も決めた。日本体育大学はインカレ最多優勝回数を誇り、川澄奈穂美や丸山桂里奈などなでしこジャパンにも多くの選手を輩出した強豪だ。「世界でも通用する技術を身に付けたい」と気を引き締める。

 「サッカーやフットサルのない人生は考えられない」という宮城。17年の全国高校総合文化祭弁論部門で最優秀賞を獲った弁論では次のように締めた。

 「これからも私は、自分の人生のピッチを走り続けていきたい。私の挑戦は、まだまだ続きます」。新たなフィールドに向け、走り始めた。