学徒の足跡、思い寄せ 「ひめゆり」遺族向け初の戦跡巡り 資料館30年事業、幅広い年代参加


この記事を書いた人 大森 茂夫

 糸満市のひめゆり平和祈念資料館は6日、看護要員として沖縄戦に動員され、多くが犠牲となった「ひめゆり学徒隊」の戦跡を遺族と共に巡るフィールドワークを行った。開館30周年の記念事業の一環で、遺族を対象とした戦跡巡りは初めて。11~90歳の遺族ら55人が参加した。元学徒との懇親の場も設けられ、亡き家族に思いを寄せ、足跡をたどった。

ひめゆり平和祈念資料館が開いたフィールドワークで、伊原第一外科壕を訪れた遺族ら=6日午後、糸満市伊原

 ひめゆり学徒隊は沖縄戦当時、沖縄師範学校女子部(女師)と県立第一高等女学校(一高女)の生徒と引率教員で構成された。沖縄陸軍病院に動員された240人中136人が犠牲となったほか、動員以外に在校生ら91人が命を落とした。

 6日のフィールドワークは、女師・一高女の校舎があった那覇市安里からスタート。1945年3月23日に動員命令が出た後、学徒たちが歩んだ道のりをできる限り忠実にバスで通り、南風原町の沖縄陸軍病院壕跡を目指した。学徒が看護活動にあたった南城市玉城のアブチラガマ(糸数壕)も訪れた。

 「岩肌が黒くなっているのが分かりますか? 米軍の攻撃で焼かれたものです」。アブチラガマで、同資料館説明員の仲田晃子さんの声が響いた。暗いガマの中、遺族らは頭上に懐中電灯の光を向けて目をこらした。

 午後にはひめゆり平和祈念資料館で元学徒5人との交流が持たれた。冒頭のあいさつで普天間朝佳館長(59)は「体験者とご遺族の思いをしっかりと受け継ぎ、これからもたくさんの方々に平和の大切さを伝えていきたいと考えている」と強調した。

 参加者からは「家族がどんな人柄だったか知りたい」「あれほど暗いガマの中でどうやって手術などを行っていたのか」など、質問が活発に飛び交った。

 師範本科2年時に動員された元学徒の本村つるさん(93)は、資料館の完成以降、戦跡巡りは行っていたが、遺族対象には実施していなかったと明かし「私たちができなかったことを次世代を担う人たちがやってくれた。今日皆さんにお会いできたことを、とてもありがたく思っている」と語った。 (前森智香子)