【アメリカ】努力で困難乗り越え 那覇市出身 山口光子さん


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持ち前の向上心で努力を重ねてきた那覇市出身の山口光子さん

 凛とした姿が印象的なニューオーリンズ県人会最高齢の山口光子さん(87)=那覇市出身=は、米寿を迎える。「これまで『You should have the guts(根性で立ち向かう)』で乗り越えた豊かな人生だった」。自らの半生を振り返り、こう語る。

 戦前生まれの光子さんは沖縄一高女に入学、戦中には大分県に疎開し、当地の女学校に通った。卒業後は沖縄の米軍基地に勤め、1952年に陸軍兵士だった夫と結婚。53年に5千人収容の船で沖縄から米国に渡った。「17日間の航海は船酔いとの闘いだった。サンフランシスコ港に降り立った時は20ポンド(約9キロ)も痩せていた」

 渡米後、職を探すが、有色人種への偏見や差別で希望の職に就けず、洋服屋で洋裁の仕事をした。その後、百貨店に採用され、独学で簿記をマスター。退職後は別の会社で経理を12年間担当した。

 夫との離婚も経験した。体調を悪くしたのをきっかけに自然食料品店を開業。沖縄から来た弟が2号店をオープンした。しかし1年後、弟は光子さんの店が入っているビルの2階に旅行社「ヤマグチトラベル社」を開業する。日本人観光客を対象に米南部の文化に触れる旅行企画を提供し、現地ガイドも引き受けた。光子さんもツアーガイドとして手伝った。店を閉めガイドの仕事に専念し、丁寧な仕事ぶりが日本からの議員や会社経営者らに評価され人脈を広げていった。

 だが、30年続いた順風満帆な通訳ガイドとしての日々を一転させた出来事が起こった。2005年8月に米南東部を襲った大型ハリケーンだ。ニューオーリンズ市内は陸上面積の約8割が水没し死者は1500人以上に上った。街はゴーストタウンと化した。旅行会社は、日本観光客のホテルの確保ができず廃業せざるを得なくなった。光子さん宅も、1メートル以上も水に漬かり、おい一家とノースカロライナ州に避難していた。

 持ち前の向学心と好奇心で努力を重ね、人生を切り開いてきた光子さん。「国際結婚を反対した父に頑張っている姿を認めてもらいたくて努力を続けてきた。『女性も世に出て役に立て』と言った父親の影響は大きかった」。パワフルで気骨ある生きざまが伝わってきた。(鈴木多美子通信員)