一昨年夏、写真家・長見有方氏の銀座での個展をハトコの編集者・川平いつ子に教えられ、おっとり刀で赴いて……。
打ちのめされてしまった! 絵画展・写真展会場は掲出作品を傷めないように、また鑑賞者が作品に集中できるようにライティングされているものではあるが、それにしても暗くねぇ?
会場を御嶽に擬してる? 長見作品の“光”の厳粛さ! 御嶽というとまず鳥居を思い浮かべそうだが、ヤマトゥ流れの俗流など、「御嶽巡歴」の知るところではなく、生臭いイキモノも論外。この写真家=芸術家は、ひたむきに“カミ”を追う。
全編、俗塵(ぞくじん)を排し、神秘主義の境地にいざなわれる。
巻末リストで数えると、氏が訪れた沖縄の御嶽約70箇所。実際にはもっと多いはずで、氏の意に染まなかった御嶽もあったろう。また御獄ではないが、氏の審美眼に叶(かな)ったカミに連なりそうなモノが捉えられている。
信仰とは、カミとは?
だいぶ以前、義弟がセイーファ御嶽につれて行ってくれたことがあるが、行って拍子抜け!
ご案内のように何もない! カミは空虚である、と表現した学者(文学者?)がいたが、なるほど、神に中身が詰まっていたら役目を果たせないですね。
芸術家・長見有方は御嶽に、豊穣(ほうじょう)なる空虚(形容矛盾だが)を見ておられるのだろう。知らない人が本書を開いたら、ジャングルの写真集(!)と早とちりするかもしれないが、カミという抽象に本巻で触れた思い!
我々(われわれ)現代人は古(いにしえ)の人のように祈れるだろうか? 百歳まで生きたわが祖母の真剣な祈り方が眼底に焼き付いているが、本書を見ながら、私(たち)は“祈り”を取り戻さねば、と。
長見氏は北海道生(うま)れ・在住で、同じ版元の近刊「八重山の御嶽・自然と文化」(未読)の編著者・李春子氏は釜山生れ。“異郷者”が御嶽を“発見”させる?
光沢のあるアート紙など使用せず、被写体がしっとりと観(み)る者に語り掛けてくる。なお、八重山出身者には(私も)、御嶽の読みは断固、オン!
(浦崎浩實・映画評・劇評家)
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おさみ・ありかた 1947年北海道生まれ。69年東京綜合写真専門学校卒業。「御嶽」写真展を2003年以降、東京やベオグラード、札幌で開催。