沖縄訪問11回 交流心に 天皇陛下あす退位


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与那国町漁協を訪問し、説明を受ける天皇、皇后両陛下=2018年3月28日(代表撮影)

 天皇陛下の退位が30日に迫った。皇太子時代から数えて11回の沖縄訪問で、多くの県民と交流を重ねた陛下。皇太子時代に訪問した名護市のハンセン病療養所「沖縄愛楽園」の関係者は、およそ半世紀前の交流を昨日のことのように振り返り、昨年3月に沖縄最後の訪問先となった与那国島の関係者も、親しみ深い陛下の姿が忘れられないと語る。

 「だんじゅかりゆしぬ うたぐいぬふぃびち みうくるわれがう みにどぅぬくる(だんじゅかりよしの歌声の響 見送る笑顔 目に残る)」

 2月24日、東京で開かれた天皇陛下在位30年記念式典で県出身の歌手、三浦大知さんが朗々と歌い上げた。天皇陛下の琉歌に皇后が曲を付け、「歌声の響」と題されたこの歌は、当時皇太子夫妻だった両陛下が1975年に訪問した名護市済井出のハンセン病療養所「沖縄愛楽園」での入所者との交流から生まれた。

 愛楽園自治会長の金城雅春さん(64)によると、両陛下は園内の納骨堂に供花した後、入所者と触れ合った。両陛下が帰ろうとした時、入所者から船出歌「だんじゅかりゆし」の合唱が起きた。2人は立ち止まり、歌声に聞き入っていた。「まだ園内の出入りが制限されていた時代に来られた。入所者の喜びは大きかった」と振り返る。外に出ることができない入所者も部屋の戸を外し、室内から歓迎したという。

 5月1日、天皇陛下退位に伴い「平成」から「令和」へと世が変わる。金城さんは96年の「らい予防法」廃止や2001年のハンセン病国賠訴訟全面勝訴に触れ、「平成は、差別と偏見に苦しんできた流れが変わった忘れられない時代だった。新しい時代に変わっても記録と記憶に残すためにも啓発に取り組んでいく」と誓った。

 昨年3月、在位中最後の沖縄訪問で訪れた与那国島。漁協組合長として両陛下に名産のカジキの説明をした嵩西茂則さん(56)は、漁師を気遣う天皇の言葉が印象に残っている。

 「カジキは角(つの)もあり、大変危険でしょう。漁師の皆さんも危険な中で仕事をしていて大変ですね」。そう天皇に語り掛けられたという嵩西さんは「カジキの質問だけするかと思っていたので、漁師のことまで気を掛けてくれて驚いた」と振り返る。

 歓迎の横断幕を掲げていた組合員に駆け寄るという、皇后陛下の想定外の行動もあった。「港は滑るので少しひやひやしたが、集まった人たちと広く触れ合いたいという気持ちがあるのだなと感じた」と話した。

 与那国島への来訪に「西の果ての島だが、『日本の中の与那国島』だと町民が感じられる機会になったのではないか。島の大きな誇りだ」と語った。