「令和で基地問題解決を」新時代の平和に祈り、変わらぬ爆音…平成最後の沖縄


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 30日、沖縄県民はそれぞれの思いで平成最後の日を迎えた。激動の時代を象徴する地で、ある人は年月の流れに思いをはせ、ある人は苦難の歴史を振り返り、ある人は新しい時代に希望を抱いた。令和への時を刻む県内各地の表情を切り取った。

<平和祈念公園>「令和で基地問題解決を」

清明祭のために、家族の名前が刻銘された礎を訪れた山内清順さん(左)とカツ子さん=30日午後2時半ごろ、糸満市の平和祈念公園

 薄い雨雲が広がり始めた午後2時半ごろ、糸満市摩文仁の平和祈念公園には、平和の礎の前で手を合わせる家族連れが目立った。

 清明祭のために読谷村から夫婦で礎を訪れていた山内清順さん(76)は、礎に刻まれた家族の名前を指さしながら「改元したって何も変わらない。まだ基地問題が解決していない。平和とは言い切れない」と話した。「それでも時代の節目として振り返れば、平成の沖縄は強かった。心折れずに、選挙や県民投票で何度も民意を示した」

 きっぱりと言い切った清順さんを見て、妻のカツ子さん(75)は「刻銘された家族や友人に『基地問題は解決されたよ』と報告できる日がくるといいよね。令和の早いうちに」とほほ笑んだ。

<北谷町美浜>変化する街並み 響き続ける爆音

街を行き交う観光客や地元客ら=30日午後、北谷町美浜

 大型連休に入り、国内外の観光客や地元客らで一層のにぎわいを見せる北谷町美浜。海岸線にはホテルや商業施設が連なり、好調な沖縄の観光業の一端を担っている。米軍のメイモスカラー射撃場が1981年に返還後、行政と民間が一体となった同地区の開発構想が打ち出されたのは94年のこと。米国西海岸のサンディエゴを思い描いた街づくりは、現在も進行中だ。

 午後2時ごろ、家族で訪れた小波津るいさん(33)=沖縄市=は「平成最後におしゃれな服を買いに来た」と声を弾ませた。「何もない場所から年々おしゃれな街になり、観光客も地元も集まる中部の中心地。沖縄の底力を感じる」と誇る。

 変化する街並みの一方で、変わらない風景もある。午後2時すぎ、米軍嘉手納基地から戦闘機が離陸。街には爆音が響いていた。

<名護市辺野古>工事なく静か 住民思い語る

平成最後の30日、座り込み抗議は1759日を迎えた=名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブのゲート前

 新基地建設が進められている名護市辺野古の海は正午、工事がなく静かだった。人のいない抗議テントでは建設断念を求めて続く座り込みの日数「1759日」を示す表示板が、道行く人にその歴史をひっそりと伝えている。辺野古区民にとって「平成」は普天間飛行場移設問題に翻弄(ほんろう)され続けてきた時代だった。

 金城武政さん(62)は、平成を「混乱と不安で低迷した時代」と振り返る。「基地問題で地域の和を崩されてしまった。大事なものは何か、今一度振り返る時だ」と話し、自然豊かだった昔の故郷の姿に思いをはせた。

 「基地問題はいつ終わるのかね」。ぼんやりと集落を眺めていた70代男性はこぼした。最近は移設はやむを得ないと考えるようになった。「選挙やっても何やっても変わらない。新しい時代になっても同じことを繰り返すことに意味があるのか分からない」。たばこの煙とともにぽつりと心情を吐き出した。

<首里城>にぎやかな最後、観光客「記念になる」

守礼門前に集まる観光客=30日午後、那覇市首里

 那覇市内はにぎやかな平成最後の日を迎えた。1992年(平成4年)に復元された首里城や守礼門前は国内外から訪れた観光客でごった返した。大阪府から訪れた藤原順子さん(66)、元吉さん(70)夫妻は娘家族と参観を終えて帰ろうとしていた。順子さんは約40年ぶりの来県で「首里城は見違えるように変わった。平成最後で記念になる」と笑った。

<宮古島市>宮古ブルー背景に写真撮影

伊良部大橋と海を背景に、写真を撮る観光客ら=30日午後、宮古島市の伊良部大橋

 2015年に開通した伊良部大橋には、年間を通して多くの観光客が訪れる「宮古ブルー」の海と空をバックに写真撮影やドライブを楽しんでいる。午後4時半ごろも、撮影に夢中になる観光客らの姿が見られた。初めて宮古島を訪れた中田春美さん=神奈川県=は「平成最後と、令和最初の日を宮古島で迎えられるのは、とても良い思い出になる」と笑顔を浮かべた。