〈重荷を負うて道を行く 翁長雄志の軌跡〉12 第3部 県議 少女乱暴事件で県民結集


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
米兵による少女乱暴事件に抗議する県民総決起大会に集まった人々=1995年10月21日、宜野湾海浜公園

 県議に初当選した翁長雄志は新石垣空港建設に関する自然環境保全策や沖縄振興開発計画など、多岐にわたるテーマで知事の大田昌秀を追及した。当選から3年が経過した1995年、米兵による少女乱暴事件が起こる。

 事件は県民にとって55年の「由美子ちゃん事件」など、終戦直後から繰り返されてきた米軍基地に起因する事件を想起させるものだった。しかし米軍の捜査当局は当初、日米地位協定に基づいて米兵の身柄引き渡しを拒否した。知事は米側に抗議し、県内の政党や市民団体など、各界から地位協定改定を求める怒りの声が上がった。

 県議会議長の嘉数知賢も身柄引き渡し拒否について「日米地位協定を改定すべきだ」と述べるなど、県議会でも与野党を問わず再発防止、米軍の綱紀粛正などを求める声が広がる。

 県議会は95年9月13日、米軍基地関係特別委員会(軍特委)で事件に関する抗議決議案と意見書案を全会一致で可決、同月19日の本会議でも全会一致で可決した。決議は身柄引き渡しのほか「日米地位協定の改正と基地の整理縮小の促進」などを求めた。委員会では「県民大会を開くべきだ」との意見が相次ぎ、県も賛同した。知事の大田は9月28日、軍用地の強制使用手続きに伴う「代理署名」を拒否する方針を表明した。

 10月21日、保革を超えた超党派の県民総決起大会が開かれる。実行委員長は嘉数知賢が務めた。雄志も自民党県連の一員として大会実現に向けて準備した。

 当日は会場の宜野湾海浜公園に約8万5千人(主催者発表)が集まった。壇上には経済界、教育界、市民団体など幅広い層の代表者が上がった。日米両政府に「日米地位協定の早急な見直し」「基地の整理縮小の促進」などを要求した。

 雄志は95年12月8日、県議会一般質問で「大会における県民の驚くべきエネルギーの結集は、各政党が主義主張にとらわれず、広く県民的な立場に立ったのが成功の要因だった」と述べた。基地問題の解決に向けて「県民の要求の最大公約数を協議の中で確立し、そのスローガンの下に各政党はもちろん、県民全てが結集することによって基地問題の解決に当たることが重要」と述べている。

 2002年の講演でも大会を振り返って「保守革新それぞれの思惑はあったが、県民の心を一つにして沖縄問題を扱ったという意味では大きな出来事だった。沖縄が抱える矛盾を内外に表明していく画期的な大会で、これは沖縄の政治の転換点になると思った」と振り返っている。

 (敬称略)
 (宮城隆尋)

(琉球新報 2019年4月3日掲載)