〈重荷を負うて道を行く 翁長雄志の軌跡〉15 第3部 県議 副知事再任 反対働き掛け


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副知事再任議案の採決で無記名投票する県議=1997年12月22日、県議会本会議場

 「玉砕戦法の県連さん、あなた方は大田昌秀を支持しなさい。政府も大田3選を支持する」。自民党幹事長代理の野中広務が翁長雄志に言った。雄志は1997年の県議会9月定例会を前に、自民党県連総務会長として上京した。野中との面談で副知事の吉元政矩を再任する人事案について話していた。革新与党が多数を占める県議会で奮闘していた雄志は、怒りをこらえて「絶対に戦う」と決意した。

 2期目の後半を迎えていた大田県政は、吉元が中心となって考案した基地返還アクションプログラムと国際都市形成構想を国に提示していた。大田が軍用地強制使用に関する公告・縦覧を受諾したことを受け、政府は沖縄政策協議会の設置と沖縄振興対策特別調整費を閣議決定する。

 県議会では軍用地返還に伴う基地従業員の雇用問題や、国際都市形成構想とその検討過程で浮上した全県フリートレードゾーンを巡り、野党が知事の「トップダウン」を相次いで批判した。その中で吉元の再任議案が諮られた。自民党本部は吉元を政府との交渉役として評価し、再任するよう県連に働き掛けていた。

 10月17日の本会議で無記名投票の結果、賛成20、反対21、白票1で賛否いずれも過半数に達せず、議案は否決される。共産党の4人は退場しており、採決に加わった与党20人から複数の造反者が出た。

 その背景に雄志がいた。雄志は与党の社民・護憲や共産党など全ての県議を説得した。2002年の講演で「5~6人から激励を受け、勝てると確信した」と振り返っている。説得の間にも野中ら自民党幹部から次々と電話がかかったが、反対を働き掛け続けた。

 雄志は「政府の目は全て大田知事に向いていた。大田県政をどう取りなすかということだ」「県民が素朴に平和を願う中、沖縄の保守は県民の生活を考えてやってきた。中央の手のひらの中で動いてしまっては、沖縄の保守も革新も死んでしまう」と語っている。再任議案は再提案された12月定例会でも否決され、吉元は県庁を去った。

 全県フリーゾーンが農業に与える影響を懸念し、同構想に与党県議として反発していた平仲善幸は「副知事室を訪ねて『離島はサトウキビがあるから暮らしていける』と訴えたが、吉元さんは聞く耳を持たなかった」と振り返る。「不信感があったところに翁長さんからの働き掛けがあった。否決後、誰が反対したのかと大騒ぎになり、別の議員にマスコミが殺到した。『私がやった』と公表し、責任を取って社民党を離れた」と語った。

 (敬称略)
 (宮城隆尋)
(第3部おわり)

(琉球新報 2019年4月7日掲載)