〈重荷を負うて道を行く 翁長雄志の軌跡〉14 第3部 県議 県民投票反対「保革割れる」


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伊良皆高吉と共に県民投票条例案への反対を表明する翁長雄志(右)=1996年6月13日、県議会

 1996年5月、連合沖縄が米軍基地の整理縮小などの是非を問う県民投票条例制定を県に求めた。県内全48市町村から3万4500人余の署名を集めての請求だった。知事の大田昌秀は県議会に条例制定を提案し、県議会米軍基地関係特別委員会(軍特委)は6月12日から「日米地位協定の見直しおよび基地の整理縮小に関する県民投票」条例案を審議する。

 与党は超党派での実施を呼び掛けたが、自民党など野党から「(95年の)県民総決起大会が県民の総意だ。投票率が50%を割った場合、議会や県が言っていることと違うということになる」「数億円をかけて県民投票をやるのは政治的な意味しかない」などと反対意見が相次いだ。

 翁長雄志は6月13日、自民党県連幹事長代理として幹事長の伊良皆高吉と共に記者会見し、条例案への反対を表明した。県民総決起大会や超党派の訪米要請を挙げ「改めて投票で意思を問う必要はない」「強行すれば議会制民主主義を否定することになる」などを理由とした。さらに投票呼び掛けが「踏み絵的な強制力となり、自由意志による投票を妨害する恐れがある」と指摘した。

 軍特委は紛糾し、自民党委員から「賛成、反対で分断するのは好ましくない」との意見も出た。条例案は6月17日の委員会、21日の県議会本会議ともに与党の賛成多数で可決された。

 都道府県単位では全国初となった県民投票は9月8日、自民党県連が棄権する中で実施された。日米地位協定の見直しと基地の整理縮小に「賛成」が89・09%を占めた。投票率は59・53%だった。普天間飛行場移設などを検討する日米特別行動委員会(SACO)の報告に民意を反映させることも狙いだったが、12月のSACO最終報告は「本島北部東海岸沖」への海上基地建設を盛り込んだ。

 知事の大田は米軍楚辺通信所や嘉手納基地など、地主らが使用を拒んだ11施設について使用を認める「公告縦覧」代行を拒否、政府と対立した。8月に最高裁で県は敗訴していた。大田は県民投票後の9月10日、首相の橋本龍太郎と会談し「沖縄政策協議会」設置や50億円の予算化を打ち出された。大田は「予算の裏付けが取れ、明るい展望が開けた」として同13日、公告縦覧に応じる「苦渋の決断」を表明した。

 雄志は2002年の講演で「誰も反対する人がいなくて、何となく流れが当たり前ということになっていた。投票率が60%を割ったことでも分かる通り、多くの県民が踏み絵を強要されているような気分になった。結果的に県民投票が、せっかく狭まっていた保守と革新の境を広げてしまったと感じた。(その後は)大田県政も大変な偏り方を示し、県議会も保守と革新に割れていった」と振り返っている。

 (敬称略)
 (宮城隆尋)

(琉球新報 2019年4月5日掲載)