【独占インタビュー】バスケ・金城茂之が12年所属したキングスを退団した理由、ファンへの思い、そしてこれから


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琉球ゴールデンキングス退団の動機や今後の抱負などについて語る金城茂之=21日午後、那覇市泉崎の琉球新報社(ジャン松元撮影)

 プロバスケットボールBリーグ1部の琉球ゴールデンキングスが2007年に創設して以来、キングス一筋で活躍した金城茂之(34)が15日、退団した。Bリーグの前身であるbjリーグでは、けがに苦しみながらもチームの中心選手として4度の優勝を経験。直近の2シーズンは日本代表を経験する選手の加入などで出場機会が減ったが、高いレベルの選手たちと練習するうちに「いい感覚を持てる時期が増えてきて、自分がどれくらいできるのか知りたくなった」と退団を決意した。現在、移籍先を模索する。沖縄のファンに対する思いや今後への意気込みを聞いた。(聞き手 長嶺真輝)

 ―退団はいつ頃から考えていたのか。

 「今年の初めくらいから頭にあった。プレーができないし、プレー外での発言も少なくなってチームに貢献することができなくなっていた。古川(孝敏)らと練習してて良い感覚を持てる時期が増えていたので、それを試したくなっちゃったんですよね。自分がどれくらいプレーできるのか知りたくなってしまって。それで決断した」

 ―退団について周囲の反応が大きかったのでは。

 「街中でファンの方が『ありがとうございました』とか『次の場所でも頑張ってください』と言ってくれる。与那嶺翼さん(2009―13年キングス所属、現在は島根スサノオマジック所属)からもすぐに電話がきて『すごい決断したな。こっちも燃えたぜ。お互い頑張ろう』と。初めての経験で不安があって、気を張っていたけど今は和んでる。うまくいくだろうとしか思ってない」

 ―12年でキングスはどう変化したか。

 「今のキングスは創設当初に比べると施設や体のケアが充実していて、試合になると本当に多くの人が来る。最高の環境。地域に根差すという意味では大成功してる。そこを抜けるのは、ファンの多さとか含め正直怖さはある」

 ―bjではリーグ最多の4回優勝した。

 「次のシーズンに向けてチーム全体で危機感を持ち、共有できる組織だった。それが次の優勝につながっていった」

プレーする金城茂之

 ―選手としての変化は。

 「若い頃はスピードがあって、外国人に当たっても倒れなかった。しかしけがでスピードが落ちてしまって、全然戻らなかった。それでも根っこにバスケが好きで、ずっと続けたいという思いがあり、裏をかくプレーやおとりのプレーをするようになった。生き残るための結果だった」

 ―直近2シーズンは出番が減った。

 「Bリーグ2年目からは日本代表とか元代表の選手が加入し、自分が気付かないことを気付く選手が増えた。それからは自分が学ぶことが多くなった。特に守備の考え方とか位置取りとかはすごい勉強になった。その中で、チーム内で発言することも減っていった」

 ―リーグではベテランに入る。移籍先ではチームにどう貢献したいか。

 「精神面の大事さを伝えたい。けがですごい自信をなくしたことがあったけど、いつ出ても自分の得意プレーを出せることが大事だと気付いたので」

 ―キングスと試合する可能性もある。

 「B1にいけば可能性はありますね。(会場を沸かせるのは)やってみたいけど、こればっかりはまだ分からないですね」

 ―また沖縄に戻ってくるか。

 「最終的には戻ってきたい。選手としてはもう無理じゃないかな。沖縄はもっとバスケが盛んになると思うので、戻ってきた時に何か手伝いをしたいです」

 ―最後、ファンに一言。

 「12年間本当にありがとうございました。僕は全然ファン対応が良くなかったけど、それでも声を掛けてくれて、すごい助かった。これからもファンの応援でキングスをもっと良い球団にしてほしいです」

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 きんじょう・しげゆき 1984年11月23日生まれ。浦添市出身。身長185センチ、体重80キロ。ポジションはシューティングガードとスモールフォワード。北中城高、大東文化大を経て、2007年に練習生として琉球ゴールデンキングスに入団。08―09シーズンにはbjリーグでその年に最も成長した選手に贈られるMIP賞を受賞し、キングスの初優勝に貢献。翌シーズン以降は長らくけがに苦しんだが、13―14シーズンには主将として日本一に。bjでは計4度の優勝を経験。16年にBリーグが発足して以降は年々出場機会が減少。今シーズン終了後の今月15日に退団した。