64年東京五輪は聖火ランナー 2020年は教え子がメダル候補 空手・佐久本嗣男さんの五輪への思い


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1964年の東京五輪聖火リレーでランナーを務めた空手家・佐久本嗣男さん =5月31日、那覇市泊

 「五輪が人生の転機のひとつになった」。1964年の東京五輪で聖火リレーのランナーを務めた県体育協会理事長の佐久本嗣男さん(71)=劉衛流龍鳳会会長=は感慨深げに振り返る。来年の東京五輪では空手が正式種目となり、出場が有力視されている喜友名諒選手ら教え子がメダル候補に挙げられている。「空手を通して沖縄と世界の懸け橋になってほしい」。あれから55年。当時とは異なる立場で夢の舞台への期待を膨らませている。

 64年9月、石川高校2年生で17歳だった佐久本さんは115番目の走者として聖火リレーに参加した。当時、陸上部で県大会にも出場した脚力を見込まれての抜てきだった。「学校の白黒テレビで自分がつないだ聖火が点火される瞬間を見た。あの感動は忘れられない」。この時の経験が日本体育大学への進学を決意させた。復帰前の米軍統治下の時代。上京後、偶然目にした看板に引かれて道場の門を
たたき、空手にのめり込んだ。

 大学卒業後は県内の高校で体育教師として勤務するかたわら、空手の鍛錬を重ね、世界空手道選手権大会の個人形で3連覇を達成するなど国際大会で大きな結果を残した。

 指導者としても世界で活躍する実力者を何人も育て上げ、そのうち喜友名選手をはじめ複数の教え子が来年の東京五輪での活躍を期待されている。

 「僕らの時代には空手が五輪種目になるなんて想像もつかなかった」と喜びをかみしめる佐久本さん。教え子たちには空手で「県勢初メダル」の期待とともにもうひとつの夢も託している。

 「空手を通して沖縄の文化の素晴らしさを世界に発信してほしい。彼らが世界と沖縄の懸け橋になってほしい」。その瞳はまっすぐ前を見据えていた。

(安里洋輔)