稲嶺恵一が1998年の県知事選で当選し、翁長雄志ら自民党県議は与党となった。県議会与党は99年の9月定例会、米軍普天間飛行場の早期県内移設に関する要請決議を提案した。稲嶺が知事選で公約した、普天間飛行場の「軍民共用」「使用期限付き」の県内移設実現を後押しするためだ。県民を二分する課題で県議会は紛糾し、最終本会議は閉会予定日だった10月14日で終了せず、審議は15日未明に及んだ。
決議案は、普天間の県内移設を含む日米特別行動委員会(SACO)の合意事項を進めることが「基地整理縮小を進めるための現実的で実現可能な選択」として、普天間の早期返還のため「跡地利用のための制度確立や財政支援、移設先の経済振興策など総合的な視点から明確に対応することが不可欠」としている。
審議で、野党の質疑は96年7月に全会一致で可決した県内移設反対決議との整合性に集中した。自民の安次富修は「大田県政の県外移設要求に日米両政府が厳しい見解を示し、普天間返還が膠着(こうちゃく)状態に陥った」「SACOの推進は基地整理縮小の現実的な選択だ。前回決議時とは状況が異なる」などと述べた。
野党は答弁漏れの指摘や関連質問を連発し、審議は長時間にわたった。平良長政ら、複数の野党議員から「提案者の選挙区で受け入れるのか」との質疑もあった。与党議員は「移設用地はほとんどない」「現実的には無理」「痛みを分け合うことは質問者と同じだ」などと答えた。那覇市区選出の雄志は「県全体の視野で物を見るべきだ」などと答えた。
審議開始後、米軍基地関係特別委員会での審議や休憩を挟んで19時間余が経過した15日午前5時すぎ、議長の友寄信助が本会議で採決を告げた。傍聴席からは「沖縄の未来を売るのか」などと怒号が飛んだ。友寄が傍聴人に退場を命じる中、自民、県民の会、新進沖縄など与党25人が起立し、決議は賛成多数で可決した。公明の2議員は「県民の合意を得るのは厳しい」と退場した。反対は野党の19人だった。
可決を受け、雄志は自民党県連幹事長として「知事公約が県議会で可決されたことで、知事は自信を持って政策を進めてほしい。できるだけ審議時間を確保し、論戦を戦わせた。これだけ慎重審議を尽くした議会はなかった」とコメントした。知事の稲嶺は決議を受け「さらに努力しなければならない」「目に見える形で整理縮小が進むことが重要だ」と述べ、移設候補地の選定を加速する方針を示した。
(敬称略)
(宮城隆尋)
(琉球新報 2019年6月2日掲載)