『句集 アイビーんすかい』 生活者の感覚、豊かに


社会
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『句集 アイビーんすかい』親泊 ちゅうしん著 アローブックス・1728円

 この句集の美点は、現代俳句の豊かさ、その多様性が鮮やかに表現されているところにある。自在な発想と自由な精神が読む人の想像力を豊かに広げてくれる。作者は、古い俳句形式に捉われず、口語で、日常生活から俳句を発想し、生活者の感覚で一句、一句を詠んでいる。

 松尾芭蕉の辞世の句とされる《旅に病んで夢は枯野をかけ廻る》の句が、口語俳句の嚆矢(こうし)を宣言した句であると喝破してみせたのは、北海道極北の地にあって、〈実存俳句〉を提唱する西川徹郎である。芭蕉が辞世の句を《旅に病み》と文語にせず、敢(あ)えて《旅に病んで》と字余りの口語で詠んだとき、多くの訣別(けつべつ)と断念の覚悟があったはずである。口語で書くとは日常生活から俳句を発想することであり、生活者の感覚で一句を詠むことである。作者もまた、古い俳句形式に捉われず自由に大らかに口語俳句を詠んでいる。

 《花でいご家族の墓は基地の中》

 《寒風の街に群れてるミニスカート》

 《梅雨最中窓の自画像濡れている》

 一句目。なぜ家族の墓が基地の中にあるのか、句はその状況や背景を一切説明しない。だが、沖縄の人は知っている。米軍の強制土地接収による広大な軍事基地の建設。それは今も続いていて、花梯梧(でいご)の頃に催される清明祭(シーミー)も米軍の許可を得なければならない。佳句とは、主観や一切の説明を排し、事実を提示し、事物に語らせるところに成立するものかもしれない。二句目。この句も、実際は、寒風の中、ミニスカートの女性らが群れているだけの光景かも知れない。だが、基地沖縄を知る沖縄人は、女たちが肌も露(あら)わに米兵に群がるゲート通りや北谷の宮城海岸で日本人女性が米兵らと戯れる風景を思い描いてしまう。

 三句目。梅雨最中にあって、自己凝視の姿を捉えている。

 《頭蓋骨曳いて遊んだ夏休み》

 この句は強烈だ。共通の体験を痛みとともに喚起する句であり、句の背景に、今話題になっている真藤順丈の「宝島」の世界が広がって見える。

 (平敷武蕉・文芸評論家)

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 おやどまり・ちゅうしん 那覇市首里生まれの団塊世代。大阪(通称釜ヶ崎)の親戚にいったん養子、福岡県の大学を卒業後、関西の建築アトリエ勤務。復帰後帰沖、設計に携わる。2012年に第10回沖縄忌俳句大会大賞。WAの会会員、現代俳句協会会員。