命を削って家族を守った 戦時中に台湾で病死した母を平和の礎に刻銘「やっと刻銘された」


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追加刻銘された母への思いを語る與那覇弥寿さん=19日、石垣市真栄里

 【石垣】石垣市の與那覇弥寿(やす)さん(93)の母で、戦時中、台湾でマラリアに罹患(りかん)して亡くなった糸洲正子さん(享年48)が今年、糸満市摩文仁の平和の礎に刻銘された。自身もマラリアに罹患し、生死の境をさまよった與那覇さん。マラリアに感染した家族の看病で命を削った母を思い起こし、平和な時代への思いが胸にあふれた。

 糸洲さんは1945年10月、台湾の山中で亡くなった。当時、基隆で生活していた一家が、激しくなる空襲から逃れようと駆け込んだ避難先でのことだった。

 6月ごろに避難した同地では祖母や弟、そして與那覇さん自身が相次いでマラリアに感染した。祖母は命を落とし、與那覇さんも40度前後の高熱が頻発して「心臓が飛び出るほど苦しい毎日」を過ごした。

追加刻銘された糸洲正子さん

 終戦こそ迎えたが、一家は動ける状況ではなかった。家族の看病に追われ、体力を奪われた糸洲さんにもマラリアが襲い掛かった。

 それでも家族を優先に看病したが、限界だった。

 「伯父(母の兄)が山中でくんできた水を母に掛けてあげると、安心したのだろう。そのままその腕の中で亡くなった」。最期に声を掛けることもできず自身も死線をさまよう中、「次は私が逝くからね」と母の死を受け入れた。

 46年2月に台湾から引き揚げて石垣島にある糸洲家の実家に戻っても、待っていたのは食糧難。末弟は「ひもじいよ」と長女の與那覇さんの腕にしがみついてきた。たばこを作ったり、畑に出たりしたが、飢えはしのげなかった。「なんで一緒にあの世に連れて行かなかったのか」。仏壇の母に怒りをぶつけ、涙を重ねた。「優しいし、厳しかった。我慢強い人だった」と母の姿を思い返す。

 平和の礎への刻銘は願っていたが、台湾でのマラリア犠牲者が刻銘対象になるとは思わず、刻銘されている親族の名前を複雑な気持ちで見つめてきた。昨年、知人から刻銘可能だと聞いた次女の長嶺和子さん(69)=那覇市=が、すぐに申請に走った。

 與那覇さんは「やっと刻銘されて、本当に良かった」とほっとした様子を見せる。自身の命を助けるために命を削ってくれた母に「(私の)子や孫たちも守ってほしい」との願いを語りながら、「今は本当に幸せだよ」と穏やかな表情でつぶやいた。 (大嶺雅俊)