【ブラジル】異文化の壁 乗り越え 県人会青年部留学生OB会 出稼ぎ子弟の体験共有


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いじめなどを乗り越え、司法試験を目指した経緯や弁護士としての目標を語る照屋・レナン・エイジさん

 ブラジル沖縄県人会青年部(知花レアンドロひでき青年部長)と、うりずん沖縄県留学生研修生OB会(照屋ルジア美雪会長)は9日、出稼ぎをした親の都合で幼い頃に外国へ引っ越し、言語や文化の違いという困難を乗り越えた青年2人の体験を共有する談話会を同県人会本部で催した。会場には若者から年配の方まで36人が集まり、「困っている人の助けになりたい」という青年2人の言葉に拍手を送った。

 スピーカーの1人はブラジル生まれで、出稼ぎする母親と共に7歳の頃に日本へ渡り、2017年にブラジル日系人として初めて司法試験合格を果たした照屋レナン・エイジさん(27)=沖縄市3世=だ。うりずん会が招待した。

 もう1人は、日本生まれで7歳の頃に両親の故郷ブラジルへ渡り、現在はABC連邦大学で国際関係学を専攻している国吉隆治ケビンさん(23)=読谷村3世=で、青年部が招待した。

 青年部の比嘉ブルーナさん(22)=北中城村3世=が進行役を、うりずん会の照屋ルジア美雪会長(30)=那覇市3世=が照屋さんの通訳を務めた。

三線で「安里屋ユンタ」などを披露する国吉隆治ケビンさん

 スピーカー2人の共通点は幼い頃に親に連れられ、言葉も知らない外国で暮らすことになり、いじめに遭いながらもそれに耐えたことや、子供の頃は勉強が苦手だったことだ。

 照屋さんは中学生の時、周りから「お前バカか、成績悪いし、外国人に弁護士はなれないよ」と言われた。給食の時間、豆が嫌いなクラスメートが豆を照屋さんの皿に移し「もっと食えよブラジル人」と言われたこともあったという。

 だが、小学生のころに見たドラマがきっかけで「人を助ける弁護士になろう」と決意。高校の担任が照屋さんの法学部へ進学したいという思いを受け止め、サポートした結果、法学部へ進学を果たし、司法試験にも合格。大学では外国人の権利は限られていると知り、外国人が夢をあきらめず、トラブルがあった時に支えるような働きをしたいと語った。

 国吉さんは世界のウチナーンチュ大会に参加した際、彫刻家の金城実氏から「君は沖縄とブラジルの架け橋だ」という言葉を掛けられ感銘を受けた。国際関係学を専攻し、卒業後は困っている外国人の力になりたいと話した。懇談会の余興では三線で「南洋小唄」や「安里屋ユンタ」などを披露した。

 (城間セルソ明秀通信員)