〈重荷を負うて道を行く 翁長雄志の軌跡〉26 第5部 那覇市長 人事刷新、課題取り組む


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親泊康晴から事務引き継ぎを受ける翁長雄志(左)=2000年12月1日

 2000年11月12日の那覇市長選で当選した翁長雄志は、12月1日に市長に就任した。1日午前8時前に自転車に乗って初登庁し、職員を握手で出迎えた。事務引き継ぎで勇退した前市長の親泊康晴と対面。新たなごみ処理施設の建設や那覇軍港移設の問題などの課題を説明されると「大所高所からの指導をよろしくお願いします」と述べ、親泊と握手を交わした。

 就任式で雄志は「市役所は市民にとって最大のサービス産業だ。市民一人ひとりの幸せを喜びとしていこう」「風格ある、誇りとリーダーシップを持てる那覇市をつくりたい。先頭に立ち汗をかきたい」と決意を述べた。記者会見で、前市政が協力を拒んできた自衛官募集業務を行うことを表明した。

 三役人事は、助役に県地域・離島振興局長の山川一郎、収入役にりゅうぎん保証社長の上間長恒を起用する方針を固め、市議会12月定例会に提案した。人事案は賛成多数で可決された。

 那覇市議だった安慶田光男は「助役は稲嶺恵一さん(知事)に任せていた。上間さんは公明党の推薦だった。どちらも那覇市出身だ。革新市政が32年間、続いてきたところに翁長さんが落下傘のように行くわけだから、人事は慎重にやった。当選直後から私たち市議会与党と市長で話し合った。翁長さんは『秘書課長だけは任せてほしい』と言っていた」と語る。

 秘書課長になったのは、都市再開発課で開発推進係長を務めていた翁長聡だった。「とまりんにあった都市計画部で仕事をしていたら、市長から『ちょっとお昼に出てこられないか』と電話があった。行くと与党の重鎮がずらりと座り、異様な雰囲気だ。市長から『この人です』と紹介されたが、それまで技術屋だったのだから青天のへきれきだ」と振り返る。

 聡は雄志のまたいとこに当たる。少年時代に父親を亡くして以来、雄志とは兄弟のように付き合った。雄志の父・助静(じょせい)の那覇市長選挙や雄志の市議選、県議選も手伝った。聡は「市議選の時、雄志さんは那覇市が革新市政であることを気にして『目立つと昇任できない。電話番だけしておけ』と言っていた。従わずにビラ貼りをしたら、那覇市職労の仲間とばったり会ったこともある」と語る。

 秘書には議会事務局にいた知念覚が異動した。知念は「職員は市政交代の経験がないのでどうしていいか分からない。市政の課題も山積みだ。市長は職員にやりたいことを丁寧に説明して『市民のためにやろう』と呼び掛けた」と語る。「対話し、酒も酌み交わしてコミュニケーションを図っていた。市民が参画する『協働のまちづくり』に向け、さまざまなことを仕掛けた」と語る。

 (敬称略)
 (宮城隆尋)

(琉球新報 2019年6月16日掲載)