〈重荷を負うて道を行く 翁長雄志の軌跡〉27 第5部 那覇市長 自衛隊行事に参加 復帰後初


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航空自衛隊のエアーフェスティバルに出席した翁長雄志=2000年12月10日

 那覇市長に就任した翁長雄志は2000年12月1日の記者会見で自衛官募集業務に応じる方針を表明したことに加え、12月10日には航空自衛隊那覇基地で開かれたエアーフェスティバルに出席した。自衛隊公式行事への那覇市長の参加は1972年の復帰後初めてだった。市議会12月定例会では市庁舎への国旗掲揚を表明。これまで市が提供を拒否してきた那覇軍港、普天間飛行場にある市有地の提供にも応じる姿勢を示すなど、保守色を鮮明にした。

 自衛隊のフェスティバルで、雄志は「対話を重ねて新しい関係を構築するために出席した」と取材に答えた。自衛隊への評価を「憲法9条の範囲内でしっかりと防衛の任務を果たしている。不発弾の処理、離島からの救急搬送などに尽力している」と述べた。

 一方で「自衛隊の有している広大な敷地はまちづくりの弊害になっている」と指摘。那覇市当間にあった市伝統工芸館に隣接する敷地(自衛隊基地内)の駐車場利用、基地周辺国道沿いへの植樹、基地内施設の市民への開放など、協力を求める考えも示した。

 自衛隊と共用している那覇空港の民間専用化については「当然、望ましい姿」としつつ「他に任務を果たせるところがないのであれば沖合展開を含め考えたい」とした。那覇空港での曲技飛行の訓練については市議会で「市民の命と暮らしを守るのが首長の役目」と反対する考えを示した。

 日の丸は、市制施行80周年を迎えた2001年5月20日、市庁舎中庭の噴水前に設置されたポールに掲揚された。掲揚式では「君が代」も流された。32年間の革新市政で日の丸は1989年の昭和天皇逝去の際、半旗が掲揚されただけだった。掲揚式以降は平日や祝日に日の丸が掲揚され、6月23日の慰霊の日には半旗が掲げられた。

 雄志は「就任以来、国旗掲揚を考えてきた。イデオロギーの20世紀が終わり、新たな価値観で心を一つにしてつくり上げる自治体でないといけない」と述べた。掲揚の理由として、国旗国歌法の成立で法整備が行われたこと、市民の合意形成ができたことを挙げた。

 一方で市議、県議時代とは主張の違いを見せる面もあった。市議会で、市議時代に「非核都市宣言」に関連して革新市政を批判したことを問われ「宣言の趣旨を尊重し、世界の全ての国の核兵器が廃絶されるよう那覇市から世界に向け、核廃絶を発信したい」と答弁した。

 市議だった金城徹は「翁長さんは元々、保守の中でも右寄りだ。共産党や革新側とは対極の立場で政治をしていた。ただ念願の市長になり、政党の論理ではなく市民目線で政治を考えるようになったのだろう」と語る。

 (敬称略)
 (宮城隆尋)

(琉球新報 2019年6月17日掲載)