翁長雄志が2000年に那覇市長に就任し、最初に直面した課題の一つに新たなごみ処理施設の建設があった。南風原町新川にある施設の焼却炉が耐用年数を過ぎており、最終処分場の使用期限も02年末に迫っていた。那覇市・南風原町ごみ処理施設事務組合の管理者として対応が迫られたが、新施設が建設される南風原町の住民には那覇市への不満がたまっていた。
ごみ処理が追いつかず、自治体間で結んだ協定で約束した環境対策を那覇市側が守っていないことへの不満だった。雄志は施設周辺の南風原町宮城、東新川、新川、大名の4区の公民館へ2年間で90回以上足を運んだ。後年、雄志は「数十年に及ぶ那覇市の不義理、不誠実に対する地域住民の怒りとやるせない気持ち、子や孫へこの環境を引き継がねばならない無念さ。何も反論できなかった。気持ちを聞き、地域の未来に対して不退転の決意を伝えた」と振り返っている。
同時に那覇市の各地で街頭に立ち、マイクでごみの排出抑制、分別の徹底を呼び掛けた。雄志ら市幹部が最終処分場に出向いて分別状況を確認し、事業者にも排出抑制を働き掛けた。
秘書課長だった翁長聡は「広報誌の編集会議に市長が入ってきて『これでは市民に届かない。現状ではごみの焼却でこれだけの無駄遣いがあるんだと伝わる見出しにしなさい』と注文をつけた。職員は驚いたが、市長はさまざまな本を読んで担当課とも密に連携し、専門家のようになっていた」と振り返る。
02年1月には「ごみ減量意識の高揚」「受益者負担の公平性の確保」を掲げて那覇市で可燃、不燃ごみの有料化と粗大ごみ処理券制度を開始した。02年8月には新施設の建設着工にこぎ着けた。
02年12月、最終処分場の使用期限を4年間延長することで南風原町と合意。地域への清算金1億円を支払うことなどを明記した覚書を交わした。協定書には再延長を認めないことや埋め立て処分量の報告義務、分別・搬入状況の監視体制確立などを明記した。
雄志は同年の那覇市民向けの講演で「市民の快適な生活は、最終処分場の地域の方々の苦痛に満ちた状況の上になり立っていることを理解してほしい。根底のところは市民のライフスタイルに関する問題だ。家庭や事業所で分別と減量に取り組めば数十億円が浮く形になり、市民のさまざまな陳情にも答えていける」と訴えている。
市議として雄志を支えた永山盛廣は「集落の夜の集まりにも顔を出し、住民と直接対話した。南風原町からの不信感は大変なものだったが、市長室より現場に出て行く実践型の市長だから解決は早かった」と語った。
(敬称略)
(宮城隆尋)
(琉球新報 2019年6月25日掲載)