那覇市長の翁長雄志は2001年3月、経営状況が深刻化していた市の第3セクター「泊ふ頭開発」が運営する旅客ターミナル「とまりん」に那覇防衛施設局(現在の沖縄防衛局)を入居させるため、交渉を進めていることを明らかにした。泊ふ頭開発は1999年度決算で累積赤字が11億円を超え、長期借り入れも88億円余を抱えるなど、再建に向けた取り組みは急務となっていた。
安定的な収入が見込める公的機関の入居について、雄志は「暫定的であっても再建に弾みがつく」「県内の60%の自衛隊基地を抱える市にとって、自衛隊や那覇防衛施設局と協力関係を強めながらまちづくりをする」と歓迎した。
泊ふ頭開発の経営再建に雄志は市長選の前から動いていた。出馬を前にした2000年夏ごろから、那覇防衛施設局総務部長となっていた佐藤勉と複数回、会っている。佐藤は「翁長さんは『那覇市長に当選したら、防衛の力も借してほしい』と話した。那覇市久米にあった那覇防衛施設局の旧庁舎は老朽化し、アルバイトの職員が増えて手狭にもなっていた。移転先を探していたところで、タイミングがよかった」と語る。旧庁舎は雨漏りもあったほか、スペースが足りず一部の業務を近隣のビルでこなしていた。
雄志は3月15日に内閣府で沖縄・北方担当相の橋本龍太郎を訪ね、同局入居へ向けて協力を要請した。5月には市職労が入居に反対して市役所中庭で抗議集会を開いている。しかし自衛隊の航空フェスに参加するなど、市と自衛隊の距離を縮めていた雄志と同局との交渉は順調に進んだ。佐藤は「山崎信之郎局長に了解を取って本庁にもコンタクトを取り、最後は本庁が引き取って実現した」と振り返る。
市はとまりんに入居していた市経済文化部を移転させた。那覇防衛施設局は02年2月、とまりんの3~5階に入居した。08年に嘉手納町に移転するまでの暫定的な入居となった。
雄志は那覇防衛施設局への入居働き掛け以外にも、経営再建に向けて沖縄振興開発金融公庫や県内3銀行からの借入金に対する金利の引き下げを交渉した。元本返済の棚上げや市からの借地料引き下げなどにも取り組み、02年度決算で泊ふ頭開発は単年度黒字を達成した。1995年の開業以来、初めての黒字転換だった。
当時、雄志の秘書を務めていた知念覚は「市長は公庫にも自ら乗り込んで交渉した。その後、具体的な業務を職員に任せた。トップが道筋をつければ職員は働きやすい。そういう市長だった」と語った。
(敬称略)
(宮城隆尋)
(琉球新報 2019年6月30日掲載)