〈重荷を負うて道を行く 翁長雄志の軌跡〉31 第5部 那覇市長 ゴルバチョフ氏を招く


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那覇空港でゴルバチョフを迎えた翁長雄志(右)=2001年11月14日

 「千里さん、この方を呼べないか」。那覇市長の翁長雄志が2001年4月、新設した市長公室で室長になったばかりの宮里千里に言った。手元に小さな新聞記事がある。見出しは「沖縄訪問したい ゴルバチョフ元ソ連大統領」だった。

 東京を訪れたゴルバチョフ財団補佐官のウラジール・ポリヤコフは、ゴルバチョフが沖縄訪問を希望していることを明らかにしていた。ソ連を民主化に導いたゴルバチョフは1991年にソ連大統領を退き、ゴルバチョフ財団を設立して世界各地で講演活動していた。2001年11月に東京を訪れる際、沖縄に足を延ばしたいとの意向だった。

 宮里と隣にいた秘書課長の翁長聡は「市長に『できんか』と言われた千里さんが、すぐ私に『聡、できるか』と水を向けるので唖然(あぜん)としたが、市長は『2人でちょっとやってごらん』と言った。手探りで連絡を取り始めた」と振り返る。

 財団に連絡を取り、市制80周年記念事業の一環として招くことを模索した。

 宮里は「ゴルバチョフ氏は東西冷戦を終結させた一人だ。翁長さんは彼を雪解けの象徴として招くことで、沖縄の保革分断も終わらせたいと考えたのではないか」と述べる。

 01年5月20日に那覇市寄宮の市民会館で開かれた市制80周年記念式典で、雄志は11月にゴルバチョフを招くことを明らかにした。式典には革新市政では招かれなかった自衛隊、米軍関係者も参列し、日の丸が掲揚され、君が代の斉唱も初めて行われていた。

 市は来沖を前に、ゴルバチョフの講演会や雄志との対談だけでなく、市民による歓迎レセプションを識名園で開くための準備も進めた。市内の小学生らはレセプションに向け、カンカラ三線の練習に励んだ。11月1日に配布した千枚の入場整理券は瞬く間にさばけ、1日60件を超える問い合わせが殺到した。

 01年11月12日、雄志は来日したゴルバチョフを、東京都内のホテルで琉球新報社長の宮里昭也らと共に迎えた。雄志が「ずっと尊敬しており、恋人に会えた気持ち」と歓迎すると「今でも同じ気持ちですよね」と答えるなど、和やかな雰囲気で会見した。

 東京での講演を終えたゴルバチョフは、14日に沖縄に入った。那覇空港の到着ロビーで市助役の山川一郎や市職員らが、ロシア語で「ようこそ、沖縄へ」と書いた横断幕を掲げて出迎えた。花束を贈られたゴルバチョフは「訪問できてとてもうれしい。この島は大きくはないが、よく知られている。特に市民は自分の島をとても愛している」などと語った。

 (敬称略)
 (宮城隆尋)

(琉球新報 2019年7月1日掲載)