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家族訴訟で国の責任を認めた熊本地裁判決で、国は控訴しないと決めた。父がハンセン病元患者で、原告となった女性(39)=本島在住=は「家族の苦しみを考えると当然だ。隔離政策がなければ、父との関係は違っていた」と悔しさをにじませながら語る。判決が確定することを受け、女性は「もう同じような思いを誰にもしてほしくない」と初めて思いを語った。
父に抱くのは恨みと不信だった。父は名護市の国立ハンセン病療養施設沖縄愛楽園にいた。女性は幼い頃から経済的にも苦しい生活で「たくさんのことを諦めた」という。隔離された父に頼ることはできなかった。
女性にとって父は不思議な存在だった。ときどき家に帰ってきたが、家では母とけんかを繰り返した。方言で父を非難する母の口から「ハンセン病」「愛楽園」という言葉が出たため、父の不在の理由は子ども心にも理解できた。
女性の母が脳梗塞で倒れた時、父は家に来なかった。母ががんで亡くなった時もそばにいてくれなかった。女性は「父が母を殺したようなものではないか」と恨んだ。
家族訴訟に加わることは父の提案だった。「何も残せないけど、賠償がもらえるならせめて受け取って」と父は言った。娘を産んで母となっていた女性は提訴後、父のことを考えるようになった。「子どもに恨まれるのは辛い。父も辛い思いをいっぱいしたのでは」
熊本地裁判決の確定は朗報となったが、「父への恨みは消えない。どう甘えていいかもわからない」と女性は複雑な心境を明かす。それでも娘には祖父という存在を示してほしい。夏休みに入ったら、娘を連れて愛楽園にいる父に会いに行く予定だ。「昔聞けなかったことも聞いてみたい」。訴訟を通して、父との距離が少し縮まったように女性は感じている。 (安富智希)