「この場所で永住を決意した」 元ベトナム難民の男性が原点の沖縄・本部町を訪問


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友好センター跡地で当時に思いをはせる南雅和さん(右)と沖縄赤十字病院の山田盛恵さん=14日午後、本部町

 【本部】「36年前、この場所で日本永住を決意した」。1983年、木造船で祖国ベトナムを逃れて沖縄水産高校の県実習船「翔南丸」に救助された南雅和さん(50)=東京都、ベトナム名ジャン・タイ・トゥアン・ビン=が14日、救助された後に8カ月を過ごした本部町豊原を訪れた。15歳だった当時の記憶をよみがえらせ、第二の人生の原点となった場所に思いをはせた。

 南さんはホーチミン沖合で救助され、フィリピンのマニラ、長崎県の収容施設で過ごした。83年11月からは日本赤十字社沖縄県支部が難民収容施設として本部町に開設した「本部国際友好センター」に入所した。

 センターは取り壊され、跡地しか残っていないが、当時、同事業に従事し、現在は沖縄赤十字病院に勤務する山田盛恵さん(59)が南さんを案内した。跡地を訪ねた南さんは「懐かしい。あの頃の風景がよみがえってくる」と感慨深げにつぶやいた。

南さんが1983年に8カ月過ごした「本部国際友好センター」(日本赤十字社沖縄県支部提供)

 「ここに食堂、ここはシャワールームだった」。指し示しながら跡地を歩いた南さん。センターで共に過ごした仲間と、その先の人生について語り合った思い出などを振り返った。「ここでの生活で日本に残ろうと決意した。前だけを見て進んでいこうと思った」と当時の心境を明かした。

 当時、友好センターの所長だった仲原英敏さんの自宅も訪ねた。仲原さんは10年ほど前に亡くなっていたが、妻でセンターの食堂で働いていた春子さん(90)と再会した。南さんは「子どもだった私を所長が叱ってくれたことを思い出す」と涙を流した。春子さんの手を握り、「食事が楽しみだった。毎日、おいしい料理を作ってくれて本当にありがとうございました」と感謝の気持ちを伝えた。
 (中川廣江通信員)