「県外移設を実現し、米国が主張する抑止力維持の条件を満たし、かつ県民に受け入れられる新たな提案が必要だ」。那覇市長の翁長雄志は2005年12月26日、記者会見を開いて米軍普天間飛行場の硫黄島(東京都小笠原村)への移設案を発表した。
外務・防衛閣僚による日米安全保障協議委員会(2プラス2)は同年10月、普天間飛行場の移設先を「大浦湾からキャンプ・シュワブ南の沿岸部」とすることで合意していた。米軍再編の中間報告に基づいた合意だった。
雄志は稲嶺恵一が1998年の知事選で公約した「軍民共用化」「使用期限付き」の移設条件がほごにされたことを受け、県民の頭越しに進められる中間報告を批判していた。
硫黄島は沖縄本島から東に約1380キロにある面積約22平方キロの島。2600メートルの滑走路があり、自衛隊が常駐しているが一般住民はいない。
雄志は会見で、硫黄島に普天間の機能を移転することを提案。併せて那覇空港の沖合展開で新たな滑走路を建設し、自衛隊は沖合の滑走路を使う案も示した。その上で有事法が整備されたことを挙げ「有事における自衛隊や米軍に対する柔軟な対応が可能となる」と述べた。有事の際は米軍による那覇空港使用を認めることで、国に沖合展開に本腰を入れさせることも狙っていた。
雄志は記者会見に先立つ12月5日、硫黄島を視察した。複数の県議、市議らと共に自衛隊機で島に渡り、約3時間視察した。
雄志は2009年の琉球新報のインタビューに「やむにやまれず一県民、一政治家として発表した。有事の際に那覇空港を使えと言うのだから那覇市長としては自殺行為だ」と語っている。
その上で「中間発表を受けて不満は表明されたが、県民から何の提案もないまま米軍再編が進んでいくのはやるせない。ベストは県外移設だが、硫黄島だけでは普天間の機能をカバーできない。一定期間の訓練を硫黄島で行い、有事の際は分散している米軍を沖縄に戻し、那覇空港も使って対応するというところまで譲歩した提案だった」と振り返った。
05年12月22日には小笠原村長の森下一男と東京で面談。06年1月20日に東京都知事の石原慎太郎、神奈川県知事の松沢成文とも面談した。
那覇市議として硫黄島に同行した金城徹は「政府に対して独自の提案を作れないかと模索していた」と振り返る。「使用期限」などの移設条件は「無条件で押し切られるわけにはいかないと、県民が初めてそんな発想を持った。だから(それをほごにしての)県内移設には問題があると(硫黄島案で)示したのだろう」と語った。
(敬称略)
(宮城隆尋)
(琉球新報 2019年8月6日掲載)