「初期の胃がんと診断された。自覚症状はない。体力の回復に努め、早めに公務に復帰したい」。2006年4月7日、那覇市長の翁長雄志は那覇市役所で開いた記者会見で胃がんを公表し、約1カ月、公務を休むことを明らかにした。
会見前、雄志は市の部長や市議会与党議員に公務を休んで入院することを説明した。会見で11月の県知事選に向けて出馬の意向を問われ「もともと(出馬は)ないと話してきた。こういう状況になったのでご理解いただきたい」と、改めて不出馬を表明した。市は雄志が公務を休む期間に職務代理者を置かず、助役の当銘芳二、伊芸美智子が代理決済を行うこととした。
雄志はこの年3月の定期健診で異常を指摘され、再検査で胃がんの告知を受けていた。米軍普天間飛行場の硫黄島への移設案を提案し、県外の自治体関係者と面談を重ねるなど、激務が続いている時期だった。
当時の報道によると雄志は4月7日から公務を休み、9日に那覇市立病院に入院、13日に胃の全摘出手術を受けた。順調に回復し、18日には集中治療室から一般病棟に移った。5月3日に退院してからは自宅で療養した。軽い体操や散歩などでリハビリした。
5月19日午後、雄志は約1カ月ぶりに那覇市役所に登庁した。入院前に比べて10キロ近く体重が減っていた。スリムになった姿を目にした職員らはどよめいた。市長室がある市役所4階に上がると、職員が拍手で迎え、花束を手渡した。
20日からの公務復帰を前にした記者会見で、雄志は「日に日に回復するのを実感しており、大変元気」と語り、市立病院の医療スタッフや市民に感謝した。「これからはさらに健康管理に気を付けながら市政運営に力を注ぎたい」と述べた。
後年、雄志は「告知された時はショックのあまり絶望のふちに沈んだが、定期健診を受けていなかったら死んでいたかもしれない。捨てる神あれば拾う神ありというように、病気を機に食生活やライフスタイルを見直すことができた」と取材に答えている。
もともと雄志は酒に強く付き合いで深夜、未明まで飲むことも多かった。一人でも本を読みながら酒を飲むことがあったが、手術を境に食生活を変えた。
雄志の義姉(兄・助裕の妻)の孝枝は「ハードな仕事で体調を崩したのだと思う。しかし手術の数日後に助裕と一緒に見舞いに行くと、ベッドの上であぐらをかいて本を読んでいた。既に座っているとは思わず、回復ぶりにびっくりした」と振り返る。「入院中も周囲に本をたくさん積み、休むというより勉強の期間にしていたようだ」と話した。
(敬称略)
(宮城隆尋)