「数百人の住民が自決したことは事実だ。多くが軍から手渡された手榴弾(しゅりゅうだん)によるものであることは、多くの証言から明らかだ」。那覇市長の翁長雄志は2007年6月11日の市議会6月定例会で述べた。
この年の3月、文部科学省は08年度から使用される高校教科書の検定結果を公表した。日本史で沖縄戦の「集団自決」(強制集団死)について、日本軍による自決命令や強要があったとする5社、7冊に修正を求める検定意見を初めて付けた。軍による強制に関して「通説となっているが、近年の状況を踏まえると命令があったか明らかではない」とする文科省に、沖縄戦体験者をはじめ県民から反発が巻き起こった。
雄志は1945年の沖縄戦で祖父・助信と叔母・外間安子を亡くしている。戦争を生き延びた父・助静は46年、真和志村長を務めた金城和信らと戦没者の遺骨を集めた「魂魄の塔」を糸満市米須に建立した。沖縄戦の歴史を正しく伝えるべきだとの県民の要求が保革を超えて広がる中、雄志も揺るぎない態度を示した。
那覇市議会は2007年5月の臨時会で、検定意見の撤回を求める意見書を全会一致で可決した。雄志は市議会で、軍の関与について「住民と軍が混在して展開された悲惨な沖縄戦の実相を表すものであることから、そのことがいささかも損なわれることがあってはならない」と述べた。
県議会は同年6月と7月の2回、検定意見撤回を求める意見書を全会一致で可決。県内の全41市町村議会も意見書を可決した。県などの撤回要求を受け付けない国の姿勢に県民の反発はさらに広がり、9月29日に「教科書検定意見撤回を求める県民大会」を開くことが決まった。
大会に向けて那覇市は市議会、市教育委員会など21団体で構成する「那覇市実行委員会」を設立。会長に雄志、副会長に市議会議長の安慶田光男が就いた。雄志も街頭に出てチラシを配り、参加を呼び掛けた。
超党派の県民大会には11万6千人(主催者発表)が参加し、雄志は県市長会会長として登壇した。
壇上で「沖縄戦の『集団自決』が日本軍の関与なしに起こり得なかったのは紛れもない事実で、生き証人の証言は生きた教科書だ」「文科省のかたくなな姿勢を転換させることができなければ後世に大きな禍根を残すことになる。今こそ、国は県民の平和を希求する思いに対し、正しい過去の歴史認識こそが未来の道しるべになることを知るべきだ」と述べた。
大会後、国は検定意見を撤回することはなかったものの、教科書会社の訂正申請に応じる形で日本軍の強い「関与」を示す記述が復活した。
(敬称略)
(宮城隆尋)