【識者談話・昭和天皇発言録】 敗戦の責任は消せない 進藤栄一筑波大名誉教授


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
進藤栄一(筑波大名誉教授)

 昭和天皇が悔悟や反省の念を持っていたのは事実だろう。だが沖縄に対して反省の念があったかは疑問だ。1947年9月の「天皇メッセージ」は、天皇が進んで沖縄を米国に差し出す内容だった。「一部の犠牲はやむを得ない」という天皇の言葉にも表れているように、戦前から続く“捨て石”の発想は変わっていない。

 55年に米軍削減の交渉に臨んだ外相の重光葵に対して天皇は日本安保体制の強化を目指していた米当局者らに特によろしく伝えるよう強く依頼した。日本の共産化を防ぐために、日米安保がいかに重要かという観点から出た話だ。天皇が共産化を恐れた一番の理由は天皇制を維持できなくなるからだ。天皇制とは貴族制の階級主義で、戦前は爵位が存在していた。爵位は権威とともに、莫大(ばくだい)な金が絡む。つまり天皇には巨額の富があった。それを脅かしていたのが共産化であり、民主化だった。

 52年の日本独立を祝う式典で「反省」の言葉を述べようとしたが、吉田茂首相から反対されて取りやめたということは、吉田首相の助言に従って引き下がったことになる。天皇個人として悔恨の念を持っていたのは間違いないが、だからといって敗戦の責任は消し去ることはできない。

 吉田が戦争を反省しない「悪」で、天皇が平和を望み、反省していた「善」とするような二項対立でこの拝謁記を評価するのは危険だ。「天皇平和主義者論」は平成の天皇や今の天皇にも通じるが、天皇は平和を求める存在で、批判してはならないという空気こそが戦争を回避できなかった戦前と共通するものだ。

 「軍部の勢は誰でも止められなかった」という敗戦までの経緯を振り返った発言は、天皇が自分の犯した誤りを弁明しているにすぎない。45年6月の段階で米国と手打ちはできたはずなのに、終戦に踏み切らないで最後まで戦うべきだと主張した。その判断がなければ沖縄の惨劇を減らし、広島、長崎の悲劇を止めることができたはずだ。

 現在も恒久平和を願う天皇の言葉が盛んに報じられるが、現実は沖縄や秋田、山口などで軍備強化が進み、巨費を投じて米国から武器を買っている。沖縄など一部地域を犠牲にして日米同盟を維持しようという日米基軸論は現在も維持されており、アジア諸国を踏み台にした戦争を反省する姿勢は見られない。
 (政治学)

田島道治・初代宮内庁長官が記した「拝謁記」