【識者談話・昭和天皇発言録】依然「忘れられた島」 我部政明琉大教授


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我部政明(琉球大教授)

 NHKが報じた今回の「拝謁記」に、昭和天皇の言葉に沖縄は登場しない。その記録の中で見る限り天皇にとって、沖縄は依然として「忘れられた島」だったのだろう。

 米軍政下での沖縄の実情が1955年以降、わずかながらも、日本本土に届くようになった。それでも当時の天皇が抱いた国民への「深い悔恨と、反省の気持ち」の中に、沖縄の人々が含まれていなかったのではないか。天皇の沖縄への記憶は、敗北を決定付けた戦いの場であり、日本の安全を保つために駐留する米軍基地の島だったのだろう。

 宮内庁が編さんし昭和天皇の生涯を記録した「昭和天皇実録」には、45年6月20日夕刻、天皇は軍部からの内奏で沖縄戦での敗北の報告を受けたことが記されている。その2日後に、天皇は最高戦争指導会議の構成員(首相、外相、陸相、海相、陸軍参謀総長、海軍軍令部長)を集め、直ちに「終戦」工作を命じたことが記されている。

 沖縄で日米両軍が熾烈(しれつ)な戦いをしている5月に、天皇自身がソ連との講和交渉を提案したが、推移する戦況判断の優先を求める声に押され、終戦への協議は見送られた。つまり沖縄戦での敗北が、降伏への直接的契機だった。沖縄での日本軍の敗北に至るまでの1カ月間に、沖縄での犠牲は急激に広まった。

 この「実録」刊行後に出版された豊下楢彦氏著「昭和天皇の戦後日本」によれば、47年9月19日、米軍を沖縄に残すことにより日本本土の防衛に主眼を置く天皇は、沖縄での米軍の長期駐留を米側に提案する「天皇メッセージ」を出した。

 また同書は、天皇以下当時の指導者には、沖縄は固有の領土ではなく、敗北に伴う代償として考えられていたと記録を基に明らかにしている。

 これらからすると、天皇にとって重大決心をするときに思い起こす対象としての沖縄だったと思われる。

 確かに「拝謁記」では、天皇は基地問題で「一部の犠牲は已(や)むを得ぬと考え」、「その代わりに犠牲となる人には全体からの補償する」ことだと述べた。むしろ、米軍に対し「感謝し酬(むく)ゆる処」が大事だと述べた。たとえ沖縄への補償があったとしても、沖縄の安全よりも日本本土を優先させたことがうかがえる。
 (国際政治)

田島道治・初代宮内庁長官が記した「拝謁記」