〈重荷を負うて道を行く 翁長雄志の軌跡〉41 第7部 市長3選 奥武山球場改築、巨人誘致


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
始球式でボールを投げる翁長雄志=2011年2月20日、沖縄セルラースタジアム那覇

 翁長雄志は、3選を果たした2008年の那覇市長選で「奥武山野球場を整備し、巨人軍を誘致する」と公約していた。選挙直後の08年12月11日、読売巨人軍は11年の春季キャンプを那覇市で行うと発表した。雄志は市役所で開いた記者会見で「感激で胸がいっぱいだ。(従来のキャンプ地の)宮崎と一緒になり、巨人軍が強くなるバックアップをしたい」と述べた。

 市営奥武山野球場は10年完成に向け、整備中だった。球場の規模は両翼100メートル、中堅122メートルで、収容人員は3万人。プロ野球公式戦に対応した規模で整備が進められていた。

 同球場の建て替えは、那覇軍港の浦添市への移設に向けた作業が進むにつれて具体化した。浦添市が那覇軍港移設を受け入れたことに伴い、2001年に政府と県、那覇市、浦添市は移設と振興策などを検討する三つの協議会を設立した。雄志はそのうちの「県都那覇市の振興に関する協議会」で、奥武山野球場の建て替えなどを要望した。

 09年の那覇市議会2月定例会で雄志は当時を振り返っている。「大臣と事務次官と政務官とそろって夕食会をするから来てくれという手紙に、翌日午後2時から記者会見をして、那覇港湾の移設に関する協議会をこういう構成メンバーでやるんだということがあった。国と県と浦添市と書いてあり、那覇市がなかった」

 夕食会で雄志は、那覇市が軍港を戦後60年間負担してきたことや、浦添市に移設されても曙、安謝など市北部の住民にとっては距離がほとんど変わらないことを強調し「皆さん方がこういう形で那覇市を外すのであれば、私は記者会見の2時間後に『那覇軍港は移設しないで結構だ。ここに置いといてくれ』と主張させていただきます」と言って帰ってきたという。

 雄志は「翌日、大臣の記者会見の内容は『国と県と関係市町村』に変わり、那覇市が入るようになった」と振り返っている。

 協議会で雄志は(1)奥武山野球場・陸上競技場の改築(2)中心市街地の活性化(3)ウォーターフロントの整備―を要望した。雄志は市議会で「最初に始めたのが奥武山野球場の改築だ。約70億円のものに関して50億円の助成金が入った。もしあれができなければ、奥武山野球場は今も草ぼうぼうで40数年間、沖縄県の高校野球を支えてきた野球場は大変な状況になっていたと思う。巨人軍の誘致もできなかった」と述べている。

 市営奥武山野球場(沖縄セルラースタジアム那覇)の落成式は10年4月3日に開かれた。11年2月19日、キャンプのため来県した巨人監督の原辰徳らを雄志は那覇空港で迎えた。2月20日の楽天とのオープン戦で雄志は始球式も務めている。

 (敬称略)
 (宮城隆尋)