作家 オーガニックゆうきさん ミステリー小説創作の源は… 藤井誠二の沖縄ひと物語(7)


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小説の舞台の一つ「パラソル通り」で亡き兄の学生服と京都大学の学帽姿でほほ笑むオーガニックゆうきさん=5月、那覇市牧志(ジャン松元撮影)

 彼女はぶかぶかの学ランに学帽という出で立ちで会場に現れた。今年(2019年)4月に開かれた沖縄書店大賞小説部門で、彼女の推理小説『入れ子の水は月に轢かれ』(早川書房・2018年刊行)が準大賞となり、作家のそんなコスプレっぽい格好に会場は沸いた。

 学帽は現在8年間(4年生扱い)籍を置く京都大学のもので、父親に買ってもらったという。が、学ランの胸に刺繍(ししゅう)された学校名に、会場にいた私は留意しなかった。あとで間近で見て気がついたのだが、沖縄の養護学校の校名があった。その学ランはオーガニックゆうきさんの実兄が通っていたところで、つまり彼女は兄の制服を来て現れたのだ。兄は知的しょうがいで癲癇(てんかん)持ちでもあった。10歳上の兄はオーガニックさんが10歳のとき、風呂場で癲癇(てんかん)の発作が原因で亡くなった。湯船の中で眠ったようだったという。小説の主人公の兄は、この実兄がモデルになっている。

 「あとで自覚したのですが、自分の中に溜まっていたものが自然に出て、作品とシンクロしていると思った。沖縄を舞台にしたかったし、兄ちゃんをモデルにしたキャラクターの設定も、自分のなかの引き出しを全部開けてみた感じです。ウルトラマン好きも兄ちゃんのことです」

アガサ賞

 同書は第8回のアガサ・クリスティー賞を取った。舞台となったのは、牧志のパラソル通りから沖映通りを抜けた美栄橋駅あたりまで。公設市場の一帯は、かつては湿地帯だったガーブ川の上でずらりと水上店舗が並んでいた。小説はその辺りが暗渠(あんきょ)になる前の戦後まもなくまで遡(さかのぼ)るが、そこで商いを営んできた老夫婦や、その店舗でラーメン屋の雇われ店長になった内地から転がりこんできた若者―水害で死んだ双子の兄の身代わりとして偽りの人生を歩んできた―、その水上店舗に住み込んでいるフリーターの中年ウチナーンチュらが歴史を行ったり来たりする。最初のラーメン屋の客が不審な水死体で発見され、その謎解きで沖縄の戦後史や地理が複雑怪奇に絡み合う。実際に起きた2009年のガーブ川の鉄砲水で死者が出た事故がモチーフになっている。

 「サンライズ通りにある沖銀の横にあるマンホールからイメージが広がって、この一帯が暗渠だった実感が湧いた。実際の事故のことはリアルに覚えてます。公文書館にも行き当時のことを調べたり、元水上店舗で商売をしていたおじいさんの話も聞いてディティールに生かしました」

ペンネームの由来

風そよぐガーブ川の橋の上にたたずむ作家のオーガニックゆうきさん=5月、那覇市牧志(ジャン松元撮影)

 それにしても「オーガニックゆうき」とは人を喰(く)ったようなペンネームだが、アガサ賞に応募する前に母親と名前を考えたという。

 「ペンネームに私は乗り気じゃなかったけど、母が気に入った。下の名前も、母が有機栽培がすごい好きだから決めました。だからペンネームに意味ないんです。ただ小説の内容を一言でタイトルで表わせないかなあと考えていたら、『入れ子』という言葉がぱっと思い浮かんだ。読んでもらえたらわかります」

 そういたずらっぽく笑い転げ、「構想ではミステリーというより、人の気持ちや動機を探れるものにしようと編集者と話し合った。人間ドラマなんです。ドキュメントタッチにして、トリックものにはしないと。そもそも、私、トリックもの苦手なんです」と語った。とはいえ、アーサー・コナン・ドイルのシャーロックホームズのシリーズやエドガー・アラン・ポーの作品、松本清張や江戸川乱歩も小学生のときから読んできた。ナイチャーの青年と中年ウチナーンチュの推理力や洞察力はホームズとワトソンを思わせる。

不思議な感じ

 生まれてから中学までは沖縄にいたが、高校はカナダ。京大ではあえて自治寮に移り住んだ。大学が退去を求めて学生を訴えている異例の裁判が進行中である。

 「自治寮に住んだのはネタを仕入れたかったのもあるけど、人脈を広げたかったし、何かおもしろそうだったから。寮に住んでる人たちは沖縄の問題を取り上げていたし。でも、大半の京大生は寮の歴史や存在に関心を向けずに卒業していきます。自分から自治寮に住むなんて政治少女に思われるかもしれませんが、寮を守りたいと思っている人たちがどういう思いで寮の取り壊しに反対しているかも知りたかった。赤ちゃん時代から基地反対などのデモにはよく連れて行かれたから、切り口として両親の影響もある。(アガサ賞に初めて応募した)『うないドール』も沖縄のガマの話です」

 作家になった理由について、「親から何か生産的なことをしなさいと言われたから」と答えてきた。私はいまいち意味がわからなかったから、あらためて聞いてみた。

 「作家には漠然となれたらいいなあと思ってましたが、自分は何もできない、何もやりたいことがないという気持ちが強かった。京大のまわりは法律家になるとか、官僚になると決めているのに、自分はまったくないことがコンプレックスだったんです。今でもインタビューを受けていても、自分は作家なんかなあと不思議な感じがある」

 そういうことだったのか。オーガニックさんは、学生が世の中を真剣に変えようとしていた時代に憧れがある。「1960年の終わりに小説家の三島由紀夫が、東大の活動家学生の中に入っていって激論してるのを映像で見て、すごいいいなと思った。あのころは若い世代に熱量があったと思うけど、今はダサいと言われちゃう」

 彼女はいま受賞後の次の作品に取り組んでいるが、海外で再度暮らしてみたくもある。しかし、いつかは沖縄に戻ってきたいとも思っている。大好きな映画『天空の城ラピュタ』(1986年)の主人公のように、オーガニックさんの魂の放浪はしばらく続く。

(藤井誠二、ノンフィクションライター)

おーがにっく・ゆうき​

 1992年浦添市出身。中学から高校の4年間をカナダで過ごす。2011年カナダのナイアガラ・クリスチャン・コミュニティ・オブ・スクールズ卒業。12年に京都大学法学部入学。デビュー作『入れ子の水は月に轢かれ』が第8回アガサ・クリスティー賞(早川書房)、第5回沖縄書店大賞小説部門準大賞を受賞。初めて応募した小説『うないドール』は第7回アガサ・クリスティー賞の最終候補に選ばれた。現在大学を休学し取材・執筆活動を続ける。

 ふじい・せいじ 愛知県生まれ。ノンフィクションライター。愛知淑徳大学非常勤講師。主な著書に「体罰はなぜなくならないのか」(幻冬舎新書)、「『少年A』被害者の慟哭」など多数。最新刊に「沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち」。