黒澤明にも影響与えた「活動弁士」とは… 周防監督の最新作「カツベン!」で描かれる日本映画の歴史


社会
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「映画監督として活動写真時代の映画作りを知ることは大事だと思った」と話す周防正行監督=那覇市の琉球新報社

 活動弁士を描いた映画「カツベン!」(周防正行(すおまさゆき)監督、12月13日公開)PRのため北海道を皮切りに全国を回る「周防正行の日本全国しゃべくり道中」が6月から始まっている。「Shall we ダンス?」など数々の名作を生み出した周防監督がこのほど、琉球新報社を訪れて映画の魅力を語った。

 ―なぜ令和の時代に、大正時代の日本の映画界を舞台にしたのか。

 「今、すごい勢いで映画の技術転換が起きている。それがフィルムからデジタルへの移行だ。フィルムの時代に育った技術者は、その時代に蓄積した技術を、デジタルでの撮影にそのまま移せない。しかし技術革新の果てに今があり、じゃあこの大転換期にそもそも映画の最初ってどんなだったか知っていますか、というところから始めた」

 ―題材が、活動写真(無声映画)時代に映画の内容を解説して観客に伝えた「活動弁士」なのはどうしてか。

 「活動弁士で上映するスタイルは日本だけの特別な上映方法だ。欧米の映画は、生演奏の音楽と字幕で描かれている。当時の日本映画の監督は、活動弁士の説明と共に観客に作品が見られることを分かって撮影しており、活動弁士に委ねる部分があった。全部弁士がうまく見せてくれる。だから日本の撮影技術は進歩しないんだという人もいたが、欧米の映画とは違う日本独特のスタイルがあったんじゃないか。その証拠に、小津安二郎も溝口健二も活動写真をスタートにしてあれだけのスタイルを確立している」

 「黒澤明はお兄さんが活動弁士で、お兄さんをとても尊敬し、一緒に多くの活動写真を見ている。もしかしたら、活動写真を撮っていない黒澤が、一番活動写真や弁士の影響を受けたかもしれない。映画『羅生門』にその影響を指摘する人もいる。それくらい日本の映画監督にとって活動弁士がいた時代というのは、影響を与え、日本固有のスタイルを生むようになったのではないか。僕自身も映画監督なので、活動写真時代の映画作り、映画の上映の仕方を知ることは大事じゃないかと思い、この映画を撮った」
 (聞き手・藤村謙吾)