『Simulacre』 「単純化」に抵抗する写真


社会
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『Simulacre』根間智子著 小舟舎・1万2960円

 イメージと物質の不可分な層の複雑化、モノクロームからカラーへの移行など近年根間智子の写真には、表現上の進化と変貌が目覚ましい。他方、変わらず保持している質があり、2作目の『Simulacre』でも顕著だ。

 それは安易な分節化に対する果断な留保、さかしらな了解に抗する黒々とした疑義、多義的な現実を単純化しようとする詭計への率直な反駁(はんばく)である。世界にはびこるそうした滑らかな言説への抵抗体としてある根間の写真は、常に陰翳(いんえい)の濃い、事物の曖昧さと存在感を共に支え持つ、固有の手ざわりをたたえている。

 写真は複製メディアと飽かず言われてきた。だが写真と切り結ぶ実際の局面で、それは単にオリジナリティの否定形の像としてあるのではない。写真とは「あらかじめ失われたオリジナル」が複数あるという倒錯を、現実の奇態として生きる物質のあだ名だ。タイトルの「Simulacre」(起源を欠いた模像)には、その含意がある。風景を確かに引き寄せるそばから、離隔の感覚が漏出する。事物の透明な理解はたちまち不透明な厚みに隔てられる。写真集の後半に至り、風景の輪郭は次第に解体の速度を増していく。一冊の中で、停滞から疾走までの速度変化も多彩だ。解体は風景=身体を不透明にむしばむ傷痕の喩(たと)えとなる一方、当の傷痕を透明に異化する寛解の喩えともなる。

 表紙と見返しに配された鏡面状のコート紙、画像の色を載せてページの所々に差し挟まれた透明なフィルム、同様に挿入される半透明なグラシン紙など、本書は多様な透過率と反射率を持つ膜面の重畳としてあり、ページの静態的羅列という制度はよく侵犯される。

 ついに写真は紙片とインクへとほどかれ、像=表象から素材=物質へと差し戻される。このことは、写真が招喚する表象への不信に根ざしている。同時にいかに物質へと解体されようと、表象の残置はある、そのことも見据えられている。写真に擬態するようにしてその広い領野を踏査しつつ、写真の臨界を押し開く注目の書物である。

 (倉石信乃・明治大学教授)

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 ねま・さとこ 沖縄生まれ。現代美術家。県立芸大非常勤講師。2015年に写真集「Paradigm」を出版。最近の展覧会に「Simulacre」根間智子 写真集 出版記念展(19年6月/RENEMIA・沖縄)などがある。