〈重荷を負うて道を行く 翁長雄志の軌跡〉43 第7部 市長3選 オスプレイ配備に反対


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オスプレイ配備に反対を訴える翁長雄志=2012年9月9日

 2012年5月25日、那覇市議会は臨時会で米軍のオスプレイ配備計画に反対する決議、意見書を全会一致で可決した。議会はそれまで配備に反対する意見書を2回にわたって可決していたが、米軍が普天間飛行場に同機を配備する際に那覇軍港も使用することが明らかになり、改めて提案された。オスプレイは沖縄への配備計画が明らかになった後も、米国での墜落事故などが起きていた。

 那覇市長の翁長雄志は11年6月17日の市議会定例会で既に「普天間飛行場へ着陸するとみられる航空機が頻繁に那覇市上空を飛行している。市民生活の安全を預かる立場にある者として決して容認できない」と、反対する立場を表明していた。知事の仲井真弘多も普天間への配備に反対を表明しており、12年に入ると雄志は県市長会会長として県民大会を開く必要性にも言及した。

 雄志は12年6月22日、那覇市議会の意見書を踏まえて上京、市議会議長の永山盛廣らと共に防衛相の森本敏を尋ねた。永山は「のらりくらりと説明する大臣に対し、市長は『説明を聞きに来たのではない。那覇に持ってくることを許さないと言いに来たんだ』と述べ、大臣とけんかした」と振り返る。

 市と市議会の要請団は、普天間への配備撤回と那覇軍港搬入を中止するよう求める要請文を森本に手渡した。永山は「市長は『保革を問わず、闘うべきところでは闘うべきだ』という考えを実際に行動に移していた」と語る。

 12年6月の定例記者会見で、雄志は県民大会の早期開催を目指す方針を示した上で「県民ほぼ全てが反対しているのに配備するのは『銃剣とブルドーザー』と同じような行為だ」と述べた。県内全41市町村の全首長、議長が配備に反対する考えを表明していた。雄志は超党派で組織された県民大会実行委員会の共同代表に就いた。

 県民大会は9月9日、宜野湾市の宜野湾海浜公園で約10万1千人(主催者発表)が参加して開かれた。宮古、八重山の地区大会を合わせると約10万3千人が配備反対を訴えた。大会決議で、配備計画の撤回と米軍普天間飛行場の閉鎖・撤去を要求した。

 雄志は壇上で「国民の安全を守る日米安保体制を担保するため、沖縄だけが危険と隣り合わせる状況は、民主主義国家としての日本の品位という意味でいかがなものか」「沖縄は戦前、戦中、戦後、十分すぎるほど国に尽くしてきた。もう勘弁してと心から国民に訴えたい」と述べた。

 大会終了後、雄志は「県民のマグマは力強い。(配備が強行されれば)基地全面閉鎖に県民が向かっていく」と述べた。 

 (敬称略)
 (宮城隆尋)