2013年3月、首相の安倍晋三は衆院予算委員会で、1952年にサンフランシスコ講和条約が発効した4月28日を「主権回復の日」として、政府主催の式典を開くことを明らかにした。ただ県内では同条約発効に伴い、沖縄が日本から切り離された「屈辱の日」という印象が強く、政府方針に反発が広がった。
自民党は、前年の衆院選公約に「主権回復の日」を掲げており、首相は「主権を失っていた7年間の占領期間があったことを知らない若い人が増えている。日本の独立を認識する節目の日」と意義を強調した。
沖縄では1945年の沖縄戦終結前後から、米軍は住民を収容所に囲い込んで米軍基地建設を進めた。52年のサンフランシスコ講和条約発効以降、米軍は基地を拡張するために「銃剣とブルドーザー」で住民を追い出し、田畑や家屋をつぶして土地を大規模に接収した。那覇市長の翁長雄志も米軍基地の過重負担の源流とも言えるこれらの経緯を訴え、政府に反発した。
那覇市議会は13年3月26日、「主権回復の日」式典の再検討を要請する意見書を全会一致で可決した。意見書は米軍が土地を接収して基地を拡大した経緯に触れ、県民は「筆舌に尽くしがたい犠牲と新たな苦悩を背負うことになった」と指摘。復帰後も「米軍基地あるがゆえの耐えがたい基地被害と人権蹂躙(じゅうりん)を強いられ続けている」「沖縄の苦難の歴史と耐えがたい現状をつくりだしている要因は、サンフランシスコ講和条約で沖縄を日本から分離し、米国統治に委ねたことにある」と批判した。
那覇市以外の県内市町村議会でも意見書などの可決が相次ぎ、県議会も3月29日、抗議決議を全会一致で可決した。雄志は4月17日の記者会見で、28日に市庁舎に紺色の旗を掲げる意向を示した。雄志は「紺は青色系の寒冷色でマイナスイメージとして失望、悲しみなどがある」と説明した。「政府の式典開催を見て見ぬふりはできない。那覇市の思いを発信することは大切なことだ」と述べた。
式典は28日、天皇皇后両陛下も出席して開かれた。官房長官の菅義偉が閉式の辞を述べ、天皇皇后が退席する中で「天皇陛下万歳」の不規則発言があった。政府は式典開催を「祝うものではない」と説明していたが、壇上の安倍や副総理の麻生太郎らも万歳した。
那覇市庁舎には28日、紺の旗がたなびいた。式典で安倍が「沖縄の辛苦に思いを寄せる努力をすべきだ」と発言したが、雄志は「3月の発表時におっしゃってくれれば、もっと意味があった。基地問題に言及しないと沖縄の苦しみは分かっていないと思う」と取材に答えている。
(敬称略)
(宮城隆尋)