【インドネシア】沖縄の心 三線で発信 外交官・知念さん 離任で最後の演奏


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最後のステージとなった「ジャカルタ日本祭り」で演奏する知念幸忠さん=7日、ジャカルタ

 三線同好会を率いて沖縄の音楽を紹介、日本とインドネシアの草の根文化交流に貢献した「三線を弾く外交官」知念幸忠さん(46)=南風原町出身=が9月にフランスに転勤する。

 東南アジア諸国連合(ASEAN)日本政府代表部(ジャカルタ)に勤務の傍ら、各種イベントでステージに立った。パリでも活動の場を広げ、日仏交流に努めたいと話している。

 知念さんは2016年2月に代表部に着任。沖縄県人会の集まりで三線を弾ける人が意外に多いことを知り、「スキルアップのために」と同10月、三線同好会を立ち上げた。知念さんの自宅に月2回集まり、合同練習を続けてきた。メンバーも最大時は6人に増え、今では本土出身者の方が多くなった。

 活動が次第に認知されるようになり、昨年6月、海外の日本祭りで世界最大規模といわれる「ジャカルタ縁日祭」でデビュー、地元のエイサー団体と共演した。以後、旅行展や物産展など日本関係のイベントや祭りなどで演奏してきた。

 インドネシアで最後の舞台となった7日の「ジャカルタ日本祭り」では「安里屋ユンタ」「島人ぬ宝」など6曲を披露した。知念さんは「インドネシアの若者が一人でも多く沖縄文化に興味を持ってくれたらうれしい」と活動を振り返った。

 父親が三線を習っていたが、10代はギター派。入省2年後に東京の自宅近くの楽器店で初めて三線を習い始めた。インドネシアに来る前は忘年会などで披露する程度だったが、いつも三線はそばにあり、「毎日触るようにしてきた」という。

 私費や沖縄県の奨学金でフランスに留学、03年に外務省に入省した。セネガル、マリ、フランス、チュニジアに勤務。「なんくるないさの精神が沖縄と共通する」と初のアジア勤務となったインドネシアの生活も楽しんだ。

 「三線を通じた国際交流ができたと思う。2回目のフランス勤務となるが、三線を弾けるフランス人は少なくないと思うので輪を広げたい」と話す。

 問題は自分がいなくなった後の同好会の運営。「心当たりの人はいるが、私たちと違って相手はプロ級の腕前。引き受けてくれるかどうか」。それだけが気掛かりだ。

 (大野圭一郎通信員)