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東日本大震災12年 高校生の最期 教訓に 高橋 達郎さん (宮城県) 校外での被災状況調査


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 東日本大震災で死亡・行方不明となった高校生の最期の状況を明らかにしようと、みやぎ教育文化研究センター(仙台市)の高橋達郎所長(67)が独自の調査を続けている。震災から9月11日で12年半。自宅など学校外での被災が大半なために教育現場で十分に検証されていないとし「教訓を未来に残し、防災教育に生かすべきだ」と語る。
 岩手、宮城、福島の各県教育委員会によると、公立高校の死者・行方不明者は計173人。宮城は87人で、高橋さんの調べでは、うち在校中や登下校中など学校管理下での死者と認められたのは3人。震災が発生した2011年3月11日は、3年生は既に卒業式を終え、学校が入試業務などのため1、2年生の多くも授業がない日だった。
 高橋さんは「学校外で被災したらどう行動すべきか。教訓が得られるのでは」と考え、20年春から調査を始めた。県教委に情報開示請求したが、被災状況が分かる報告書などは見つからず、かろうじて87人が在籍していた高校名は判明した。
 該当する学校に調査票を配り、教員や遺族から情報を集め、何らかの状況が判明したのは今年7月時点で71人。うち37人は自宅で被災していた。一緒にいた祖父母を避難させようとして津波に巻き込まれたケースが複数あった。学校外での自主的避難が重要な教育上の課題として浮かんだ。
 アルバイト先で被災した生徒が5人、自動車学校からの帰宅中や送迎バス内が9人など、行動範囲が小中学生よりも広く、大人に近い高校生ならではの事情も見えてきた。そのため内陸部の学校の生徒もいた。
 調査の過程で、風化の懸念も抱いた。一部の高校は「過去のことなので氏名が分からなければ調べられない」「記録がなく不明」と回答した。高橋さんは「授業や部活も少ない年度末の『空白期間』に起きたため、自校の生徒が亡くなったとの当事者意識が薄いのではないか」と考える。
 熱心な継承活動との出合いもあった。石巻西高(東松島市)では、亡くなった在校生9人と、入学予定だった中学3年の2人の名前を刻んだ碑を校内に建てた。高橋さんの調べでは、碑を建立した貴重な事例だ。
 元校長斎藤幸男さん(69)は14年に退職した後も、各地で講演を続け、当時の出来事を伝えている。「未来の命を守ることにつながってほしい」との思いから、高橋さんの調査に協力した。
 高橋さんは「具体的な被災状況を知れば、各地の高校生が自分事として考えるきっかけになる」と話す。調査結果は年内にもまとめ、個人情報を伏せた形で県内の高校などに配る予定という。
みやぎ教育文化研究センターの高橋達郎所長=3月、仙台市
 東日本大震災と児童・生徒 2011年3月11日午後2時46分、三陸沖を震源に巨大地震が発生し、東北地方を中心に大津波が襲った。震災関連死を含む死者・行方不明者は計2万2千人超。岩手、宮城、福島の各県教育委員会によると、公立の小中高、特別支援学校の児童・生徒の死者・行方不明者は計524人となった。児童・教職員計84人が犠牲になった宮城県石巻市立大川小を巡っては、一部の遺族が提訴し、学校管理下の防災体制の不備を認める判決が確定。旧校舎は震災遺構として公開されている。