有料

<ひと>「差別受けた人の励みに」/75年遅れで卒業証書を手にしたハンセン病回復者の石山春平(いしやまはるへい)さん


<ひと>「差別受けた人の励みに」/75年遅れで卒業証書を手にしたハンセン病回復者の石山春平(いしやまはるへい)さん
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 「運転免許証は持っていますが、小学校の卒業証書はもらったことがないんですよね」。ハンセン病回復者として各地で啓発活動を続けてきた中で何げなく発した一言。その言葉に違和感を覚えた支援者の働きかけで今年、75年遅れの卒業証書授与式が実現した。
 ハンセン病と診断されたのは、小学6年生の夏。「おまえは人には言えない病気にかかったんだ」。父の険しい顔で事の深刻さを悟った。自宅の納屋で4年間、人目を避けるように過ごした後、神山復生病院(静岡県御殿場市)に入所した。
 病気は5年ほどで完治したが、顔や手には障害が残った。施設職員として働いていた妻絹子さんとの出会いがきっかけで社会復帰を決意。
 上京後は、製造会社の営業職として働いた。仕事で車の運転免許が必要になったが、1級障害者で免許を取得した前例がないことを理由に公安委員会から断られた。「生活がかかっている。教習所にも通えないのは、障害者差別だ」と直談判。見事、試験に合格した。
 啓発活動を通じて小学校の同級生との交流も再開した。「在籍記録が見つからないので卒業証書を出せない」と母校で言われた際、同級生が証言者となり、在籍が認められた。
 明朗な語り口でハンセン病問題を伝えてきた87歳。しかし「卒業証書は正直紙切れにしか感じなかった」。寂しげな表情が時の長さを物語る。「同じように差別を受けてきた人たちの励みになれば」と、自身の経験を語り継ぐ。静岡県出身。
(共同通信)